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稲葉 > 清洲




お茶壺や 御三家さえも 道譲り

 稲葉宿。
 江戸時代のこと。チャンバラごっこで、追いかけあって、遊んでいた子供が、街道に飛び出してしまい、行列にの人にぶつかって、斬り殺されたそうな。「ひどいね。大名行列?」 お茶壺行列!
 「お茶壺行列って?」 将軍家が飲んだり、将軍家祖廟に献じるお茶を、京都の宇治から、お茶壺に入れて運ぶ行列。「たかが、お茶壺なのに?」
 そう、この行列に会えば、大名行列も、御三家であっても、道を譲らなければならなかったそうだよ。「なんとね。」
 しかも、お茶壺行列は、行きは東海道、帰りは中山道をとおるから、この話では、空の茶壺だったことになるね。「やってられないね。まったく。」



殿様の 行列もなし くらべ馬

 稲葉宿。
 「くらべ馬って?」 競馬だね。「どこで、やったの?」 ここで! 「ここって、街道で??」 そう!
 「そうって、大名行列とか、来たらどうするの?」 あらかじめ、問屋場で確認してからするよ。
 「通行人とか、危ないよ。」 両端に、筵を立てて、通行止めにして、やったとか。宿場の人たちも、通りかかった旅人たちも、みんな大声で声援したそうな。
 「むちゃ、楽しそう。活気のある、明るい宿場だったんだね。」



御三家で なく将軍の ゆかりかな

 禅源寺。
 「三つ葉葵の御紋だね。…って、御三家の尾張藩領内だから?」 いやいや。「…?」  将軍家光が上洛途上、このお寺に宿泊した際、不快(おこり)が治癒したことを喜んで、表道具に御紋を付けることを許したそうな。
 「将軍直ね。怖いものなしだね。」


故郷へと 帰る人たち 見送りて

 禅源寺。
 ここのお寺には、旅の途中で亡くなった方も、眠っているようだね。「どんな人たち?」
 琉球王子使節の随行員とか。「琉球か。遠いね。」
 使節は、琉球王の即位、あるいは将軍の代がわりの際に、派遣されたみたいだね。
 出発してから、帰るまで、一年弱かかったようだから、大概だよね。「戦じゃないけど、家族は心配だったろうね。」



象がゆく 子供達だけ 大騒ぎ

 稲葉宿。
 ここ、稲葉の宿場も、象さんが通ったそうな。「八代将軍吉宗公の頃だね。」
 象さんがくると言うので、みんな大騒ぎ。「珍しいからね。」
 いやいや、誰も見たことないので、知識人に聞くけど、知識人も見たことないから、みんな適当なこと言ったそうな。「あらまぁ。」
 結局、人の十倍くらいあって、タワケな人を食らうと言うことで話がまとまり、みんな、かくれていたそうな。「とんでもないね。」
 で、子供たちだけ、象さんを見に行って、大はしゃぎだったとか。


道しるべ 頼りに曲がりて 本当に

 津島道の道標。
 「津島道って、津島街道のこと?」 いやいや、それは、また、違うね。津島は、昔から湊町として栄えていたところ。この美濃路も、起から、萩原、稲葉、清洲、名古屋、宮と、津島を中心にした円周上を歩いているみたいなものだから、それぞれの宿場から津島への道っていうのがあるってかんじかな。「なるへそ。」
 ただし、ここを曲がればいいとしても、その先は、今の地図をみても、よくわかんないね。



でかいよな 小さいような 問屋場や

 問屋場の石碑。
 「これは、なんか、すごいね。目が、いくね。」
 そうだね。問屋場の跡の建物も、石碑も、単独でみていたら、別にきにならないけどね。「この軒下に、この石碑。しばらく、目が離れないね。」



春うらら 急にや喉の 渇いてき

 藤市酒造。
 おお〜、いいね。この看板‼︎ なんか、とっても美味しいお酒があるような想像が膨らむけれど…。「まぁ、それは結構ですが、まだ、朝の九時半ですよ。」



木造の 古民家よりも 年季入り

 旧稲沢電灯本社。
 昭和十一年に建てられたものだね。「なんで、これ、古く見えるのかな?」 そうだよね。街道沿いの古民家の方が、実際は古かったりするけど、そちらは今の景色に馴染んでるような…?「使われてないから?」
 そうかもしれないね。中山道愛知川宿にあった元銀行は、光ってたよね。「確かに…、って、調べたら、この建物、稲沢市民俗資料収蔵庫って、なってるから現役?」
 いやいや、コンクリート壁には亀裂、床材、壁面の劣化、それに電気、水道は供給されてないみたいだから、やっぱり、使われてないようだね。「う〜ん、どうするんだろ…。」



大平の 時の鐘さえ 割れるほど

 稲葉宿。
 「鐘が、割れたの? 普通、割れる?わ」 稲葉騒動という、一揆の合図に、先ほどの禅源寺の鐘が使われたから。「緊迫度が、伝わってくるね。何があったの?」
 凶作だった年の暮れに、農民が役人に救米を要求したが断られ、騒動が起こった。「江戸時代は、大変だったんだね。」 江戸時代じゃない! 「えっ? いつ?」
 明治二年のこと。尾張藩領内では、四公六民で、江戸時代を通じて大規模な一揆はなかった。「新時代への希望の高まりの、揺れ戻しもあったのかな?」


騒動も 犠牲もなけりゃ 動かなく

 稲葉宿。
 稲葉騒動、尾張西部133カ村で、35000〜40000人が、4日間に渡って、役所や金持ちの庄屋などを襲った。
 尾張藩は、大砲まで持ち出して出動。「藩?」 廃藩置県前だからね。
 50人もの死亡者を出して、結局、騒動の後、56万石の救米を出している。「なんか、ひどい話だね。」



たまにゆく 人はゆったり くつろげて

 稲葉宿 本陣。
 この本陣跡は、いいね。案内所みたいな感じ。トイレもあるし、腰もおろせるし。てくてく街道をゆく者として、本当にありがとうございます。「そうだね。」



目印の 一里塚をば 探しつつ

 小沢一里塚。
 「おっ、この写真は…、また、一里塚、行き過ぎたので、振り返って撮った写真?」 なんで、分かるの?



六つある 三大奇祭に 間に合わず

 国府宮 一之鳥居。はだか祭、二月十三日ってあるね。
 「日本三大奇祭って、六つあるの?」 いや、沢山ある。「何いってんの?」
 当たり前の話だけど、祭りって、よくよく調べると、自分が知っている祭以外は、すべて、変わった祭りになるので、百や千は、あるんじゃないかな?「なるへそ。」
 ここの祭りは、簡単にいうと、まず、一人の男性に、集まるすべての人の、厄災や穢れを背負わせる。それを、餅に移して土に埋めて封じてしまうというような流れ。ところが、これが、簡単じゃない。「へっ? 何? なに?」



一般に 裸祭りと 言うそうな

 国府宮 一之鳥居。
 二月の中頃、年によっては、まだ雪が残る頃、下帯に足袋だけはいた裸の男たちが境内を埋め尽くす。そこに、厄災を背負う男が一人、入り込む。みんなが厄災をその男に触れて渡すべく、男を目指す。
 つまり、寒中に、裸の男たちの、押し合いへし合い。集団目掛けて、常に水がかけられる。寒いけど、暑いような。湯気がたちのぼるそうな。
 いやぁ〜、すごい祭りだね。まさに奇祭。



灯籠に 太鼓橋に 誘われて

 国府宮 参道。
 「いや〜、すごいね! 日本一大きい太鼓橋??」 そうだね〜、形としては、参道を横ぎる交通量の多い道路を跨ぐ歩道橋だろうけど…、太鼓橋だね。
 「これ見たら、遠くから遥拝して、素通りなんか、できないよね。」 まったく。



ニノ鳥居 姿を変える 国府宮

 国府宮 ニノ鳥居。
 ニノ鳥居までくると、景色が一変したね。「そうだね。参道がなんばいにもなり、両側は桜並木、その外側にも道があって、スケール大きいね。」
 桜満開で、先ほどの話の奇祭が行われる神社とは、思えないね。



鉄塔も 見上げる先の 青空へ

 ソラエ。
 「あれは、何?」 三菱のエレベーターの試験塔みたいだね。「なるほど、試験塔、ひつようだよね。高層ビル建てて、ぶっつけ本番で、いきなり設置なんてできないよね。」
 高さは、173mで、塔としては、全国でも20位の高さだって。「173m、173、173…、あっ、これって、稲沢だから?」 その通り! 稲沢の顔だね。「でも、いなざわ、の、『わ』は、どこ言ったの?」 おい、おい、1730mに、しろってか?


稲沢市 採った漢字が テレコなら

 ソラエ。
 稲沢の名前は、稲葉村と小沢村から一文字ずつとったんだよね。「これ、取った文字が、もうひとつの方だったら、小葉になってた? すると、塔の高さは、08m!」 しょぼすぎ。
 この塔の名前は『sorae』。空へ、って言うことかな。明るくて、いい名前だね。



一説も 現地に立てば ひしひしと

 長束邸跡。右側の公園に立つのがその碑。
 「長束家正の生誕地って、前に通ったような気がするけど…。」 そう、通ったよね。確か、志那街道は長束の集落だったよね。今の滋賀県草津市長束町。
 生誕地の説がふたつあるなんて、英雄の仲間入りだね。「前半生や、祖先なんかは、わからないんだね、」
 ご先祖様は、分かっているよ。西行法師。「…、ホント? 驚きだけど…、な〜るほど、それでね…。」 えっ?、何? なに?


2022.04.01.午前:
 稲葉から清洲まで、てくてく。

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