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番場 > 醒ヶ井




続日本 百名城や 手強そう

 鎌刃城への登り口。
 中山道の横を名神高速道路が、通っていて、写真はその高速道路の高架下をくぐるトンネル。手前には、鎌刃城への道しるべ。トンネルには、フェンスがしてあり、チェーンが引っかけてある。ボードが3つ。2つには、開けたら必ずしっかり閉めてチェーンを掛けてください、とのこと。
 「猪よけの、フェンスだよね?」 でも、臨場感、増してくるね。もうひとつのボードには、この先、倒木のため、通行止め、と、あるね。
 いや~、百名城、期待してたけど、倒木なら仕方なし。ちょっと残念、寄り道できないかな。「ひとりじゃ、怖いんでしょ??」



ぽっこりと ひとつお山の 番場宿

 番場宿。
 なんか、いいね、この宿場。まっすぐ続く道の先に、ぽっこりと、お椀を伏せたような山がひとつ。「日本昔話に出てきそうなところだね。」
 この宿場は、飛鳥時代に、まだ東山道と呼ばれていたときからの宿場らしいね。「すごいね。東海道なんて、両端の街も、影も形もなかったころからの宿場なんだね。」



峠越え たどり着けども 宿はなし

 番場資料館。
 えっ? 宿が空いてない? 「すみません、だんな。今日は、客がいっぱいで。」 う~ん、神社の軒でも借りるか...。
 それから、300年。資料館で、トイレ、借りようかな...。えっ? 閉館中?? 次の宿場まで、どれだけあるんだろ??「4.3キロ!」 最寄りの駅は? 「最寄りの駅は、次の宿場!!」
 



案内板 行った気分で 人に言い

 番場資料館の表に、鎌刃城の詳しい案内板がありました。
 結構、大きな山城だね。城域よりも高いところに続く絶壁の尾根には、侵入されないように、8本の堀切を設けているとあるね。この姿が鎌の刃を連想させるって。これで、人には話せるね。「もう、すっかり、行った気分だね。」
 「ところで、なんで、写真の左に、トイレの案内入れてるの?」



古代から ばんばと言うも 書いたなら

 番場宿にある石碑。
 『中山道 西番場』とある下には、『古代東山道 江州馬場駅』とあるね。「昔は、『ばんば』じゃなくて、『ばば』って地名だったの??」
 いや~、昔から、『ばんば』じゃないかな。ここ滋賀県とお隣の京都府では、普通、『馬場』とあれば『ばんば』と読むみたいだね。「へ~、そうなんだ。」
 
  幕府の道中奉行所で、
 「次の宿場は、『馬場』と書いて『ばんば』でござる。」
 「『ばんば』なら、『番場』だろ!!」
 「いや~、確かに、地元民が、馬場と...。」
 「それ、絶対、見間違い。番場と書いとこ。」
  ...なんてね。m(_ _)m。



番場宿 過ぎたか田畑 広がりて

 西番場と東番場の間。
 家並みが途切れたので、宿場を過ぎたかと、思いきや?? 「チェックポイントのお寺も神社もなかったもんね。」 またまた、見落としたのかと...。
 「ここの宿場は、西と東に別れているみたいだね。」 江戸時代の初期に、宿場の北側から琵琶湖へ抜ける切り通しを造った際に、宿場自体を分岐点へ移動させたみたいだね。「それが東番場だね。」



ヒル、マムシ 熊まで守る 鎌刃城

 振り返って鎌刃城の方を見る。
 「どれが、鎌刃城?」 さぁ~? 「おい!」 たぶん、写真のどこかに入っているんじゃないかと。「なに、その撮影の仕方。」
 ここからも、登る道があるようなんだけど、なんか、山が深そうで、攻める気、しないよね。ちなみに、山裾に横長に続いているのは、土塁じゃなくて...。「名神高速道路でしょ!!」 そう、念のため。
 素人でも安易に登れるのかどうか、ちょっとネットで調べたら、そうそうたる強者たちが守っているそうな。「まあ、確かに、ちょっと怯むよね。」 



ぽっこりの お山がだんだん 伸びてきて

 番場宿。
 「正面のお山が、だんだん高くなってきたね。」 おもしろいね。街道がまっすぐお椀を伏せたような山に向かっていて、日本昔話みたいな風景、いいね。
 その麓のあたりが、琵琶湖へ抜ける道との分岐点なのかな?


自販機が 無ければ通り 過ぎてたか

 直孝神社。
 「直孝、っていうのは?」 徳川の先鋒:井伊の赤鬼と言われた井伊直政の子。彦根藩二代藩主だね。側室の子であり、正室の子の兄がいたので、父直政と初めて対面したのは、十歳を超えてからだとか。「大名の子に生まれていても、大概、きついね。」
 その後、家康、秀忠、家光にも気に入られ、兄を差し置いて、彦根藩を継ぐ。まあ、単に気に入られたとかじゃなく、彦根藩はなんと言っても徳川の先鋒:お飾りじゃダメだし、荒くれ武者を統率する力が無くちゃだめだから、その器量ありとされたんだろうね。
 「しかし、自販機無ければ...って、悲しくない?」 いいんじゃない。赤い自販機だし、必然的に...、だね。「あら、まあ...。」 m(_ _)m



祀られる 身でも戦に 備えてか

 直孝神社。
 写真をよく見てほしいのだけど、鳥居の向こうは、川。しかも、正面には、橋はないね。左側の隅に人ひとりが通れる、仮の橋が架かっているだけ。
 「入っちゃ、行けないんじゃ?」 そうだよね。そう思うよね。「それにしても、危ないよね。たぶん、参拝するのは子孫や領民だろうから?」
 これは、察するに...。「察するに?」 大坂冬の陣、真田丸の戦いで、ひどい目にあった反省を子孫に残すためじゃない? 「じゃ、この川は、大坂城の堀に見立てて? って、ほんまかいな??」m(_ _)m



城下でも 街道沿いでも ない場所に

 直孝神社。
 直孝公が彦根藩を継いだときは、十五万石。大坂の陣での武勲などで、何度か加増され、ついに三十万石の大大名に。「すごいね。」
 「でも、なんで、彦根のご城下じゃなくて、ここに神社があるんだろうね。」 さぁ~。「おいっ!」
 う~ん、番場宿は、山間の小さい宿場だったんだけど、米原湊ができて、番場宿との間の切り通しの道ができると、物流量が大幅に増えて、宿場が栄えたから? かな? 「切り通しは1611年で藩主になる前、神社は1643年創祀。」m(_ _)m
 う~ん、神社は北条仲時の墓の下の方にそちらを向いてあるから、鎌倉幕府倒幕時に、ここで滅亡した六波羅探題たちの武士の心を見習うように、子孫に思わせるため? かな? 「北条仲時が夢枕に立ったという井伊の殿様が誰かは不明なので、却下!」m(_ _)m


直孝公 祀る神社に 猫はなし

 直孝神社。
 本殿の両脇には、狛犬さんが四つ。猫さん、いませんね。「なんで、猫にこだわるの??」
 直孝公が鷹狩りの帰り、あるお寺にさしかかったときに、門前にいた猫が手招きしたので、立ち寄ることに。「ほ~。」 で、寺に入ると、雷鳴とどろき、激しい雨が降り出す。雨宿りになった上に、お寺の和尚との話もはずみ、幸運にいたく感動されたそうな。
 このへんのエピソードが、ひこにゃんのベースになっていると思うんだけど。「それ、神社じゃなくて、お寺?」 そうお寺。「どこの?」 東京は世田谷の豪徳寺。「あ~????」 世田谷は、彦根藩領だったの。「へ~。」


挨拶の 子や鎌倉は 昔なり

 街道から蓮華寺への道。
 蓮華寺。鎌倉時代末。反旗を翻した足利尊氏に敗れた六波羅探題軍。ここ番場まで落ち延びてきたけど進退窮まり、ここ蓮花寺で北条仲時以下432名が自刃して果てた。
 なんか、重いね...と、思っていたら。「思っていたら?」 『こんにちはっ!』って、近所の子。そう、とってものどかなところなんだよね、番場は。



名神を くぐれば時代が 変わりそな

 蓮華寺の前。上を横切っているのは、名神高速道路。正面は勅使門。
 「よく、六波羅探題の武士たちが眠るすぐ前に、高速道路を通したね。すごいね。」
 まあでも、高速が通ってなかったら、気が重くって、街道から軽く拝んだだけで、通り過ぎていたかもね。「確かに。」



戦うも 守るも自刃も 二十八

 蓮華寺勅使門。
 六波羅探題の総大将は、北条仲時。24歳で上洛して、六波羅探題北方となる。「若いね。鎌倉幕府は、人がいなかったの? m(_ _)m それとも、すごく出来た人だったの?」  倒幕挙兵した後醍醐天皇、楠木正成討伐に参加。しかし、上洛から4年後、倒幕側に立った足利尊氏に敗れる。尊氏は仲時よりひとつ年上。「若いね。倒幕側は、人がいなかったの? m(_ _)m」
 ここ蓮華寺で、自刃するときは、仲時28歳。この時代の主役は、皆、若いんだね。


我が首を 敵に差し出し 手柄にと

 蓮華寺。「中に入らなかったの?」 ちょっと、無理だね。
 進退窮まった六波羅探題北条仲時。423名を前にして曰く、
 幕府が傾いてゆく中、義を重んじて最後まで付き従ってくれて礼を言う。しかし、武運尽きる今、それに報いることができない。されば、我が首を敵方に持参して手柄とし、新たな主人のために忠義を尽くせ、と。
 言い終わるや否や、腹かっさばいて果てた。
 「涙、出てくるね。」 死に臨んで、自分自身のことは置いといて、これは言えないよね。


自刃より 落ち延びもせず 従いて 

 蓮華寺。北条仲時を追って自刃したのは、423名。「この大将は、きっとみんなから愛されていたのだろうね。」
 仲時が、鎌倉幕府の役職として、兼務する摂津守護の職権で招集をかけても、参じるものはごくごくわずかだったとか。それだけ、みんな、風を読むのに敏感だったんだろうね。付き従った武士たちも、もちろん感じていただろうにね。
 時代が下って戦国の世でも、敗軍の将が落ちていったら、最後は数騎だけとか、あるものね。



会えなくも 瞼閉じれば そこにいて

 番場宿の本陣跡前。
 番場と言えば? 「番場と言えば...、う~ん、番場の忠太郎!」 よく、出てくるね。「検索しました。m(_ _)m。」
 長谷川伸の戯曲、『瞼の母』の主人公が、番場の忠太郎。博徒だね。もともと番場宿の旅籠のおきなが屋に生まれたが、5歳の時に母が家を出る。12歳で父が亡くなり、以後は博徒として母を探しながら、旅を続ける。
 江戸で、料理茶屋の主人をしている母に会う。が、母からは、金目当て、あるいは娘の縁談等にさわりが出るという気持ちから、親子の縁を否定される。
 料理茶屋を乗っ取ろうとする悪巧みの一味を切り倒したあと、娘の言葉に気が変わって追ってくる母をやり過ごし、去って行く忠太郎。そこで、
 『おらぁ、こう上と下の瞼を合わせ、じっと考えてりゃぁ、会わねえ昔のおッかさんのおもかげが出てくるんだ...。それでいいんだ。会いたくなったらおらぁ、目をつぶろうよ。』
 いいね。涙出てくるね。「番場の宿は、泣いてばかりだね。」


いつの世も 瞼閉じれば そこにいて

 戯曲『瞼の母』は1930年の作。「90年も前なの? でも、内容は別として、番場の忠太郎っていうのは、なんか聞いたことあるような?」
 そうだね。関連する作品が多いし、しかも近年までも発表が続いているからかな?
 ネットで検索すると、この作品を元ネタとして、演劇では3舞台、映画でも3本、テレビドラマで6ほん、漫画1作、浪曲3曲、歌謡曲は7曲もあるそうな。「けっこう、あるね。」



中山道 ここから一番 賑やかで

 番場宿の問屋場跡。
 「ここから賑やかって? ここから先、山の中へ入っていくんじゃないの?」 写真の信号の交差点、まっすぐが中山道、左へ曲がると深坂道をとおって、琵琶湖畔の米原湊へ。「なるへそ、物流は琵琶湖に出て、船に乗せてって、流れね。」
 そう。反対側は、関ヶ原までは中山道と同じ道をゆき、そこから伊勢へ南下して、濃洲三湊で、伊勢湾に出るコースが賑わったみたいだね。
 「へ~、以外。今の東海道本線と同じで、この辺はゆく人が少ないと思っていたけど。m(_ _)m」 貨物は沢山走っているでしょ。「なるほど。」



往来の 賑わう下に 一里塚

 久禮の一里塚。
 上を通っているのは、名神高速道路から分岐してすぐの北陸自動車道。「すぐって?」 起点から400メートルのところにあった料金所よりも、さらに起点より。「ほぼこの一里塚が起点?」
 まあ上は車がブンブン、今でも交通量が多いけど、下の街道は静かだね。」北陸自動車道は、ここ米原ジャンクションから新潟まで、約480キロ。「チャレンジしがいがあるね。」 何の話?


そり込みの お山についつい 目がいって

 河南(かわなみ)からゆく先の山を見る。
 気になるね。「あれは、何?」 高圧電線が通っているので、木々を伐採しているんだと思うけど。なんだか、登ってみたいね。



西行の 子供や供養の 地蔵かな

 西行水。
 伝説では、西行法師がここにあった茶店で休憩をした際、店の娘が西行に恋をし、西行が飲み残した茶の泡を飲むと、あら不思議、懐妊して男児を出産。後に西行が帰路に再び店に寄った時に、娘からことの一部始終を聞き、『もし我が子ならば元の泡に帰れ』と念じると、男児はたちまち消えて元の泡になったそうな。西行は、実に我が子なりと、ここに石塔を建てたと。
 「なんか、すごく似た話、あったよね?」 そう、武佐の宿から少し東に行ったところで、泡子地蔵の話があったよね。主人公が弘法大師か西行かの違いだけで、まったく同じ内容だね。
 「これは、どう解釈したらいいのだろうね?」 さ~ね~、『仮に...』なんて言い出すと、条件がいっぱいあるから、すごく話が止めどなく膨らんでいくような...。


2021.11.3.:午後
 番場から、醒井まで、てくてく。

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