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醒井 > 柏原




思い出を 残し新たな 思い出を

 明治時代の醒井小学校の玄関。
 立派な小学校だったんだろうね。というか、地元の方の教育に対する気合いを感じるよね。普通の鉄筋コンクリートの小学校卒業生としては、魅力を感じるよね。いいな~。
 醒井小学校は、明治26年に開校。昭和36年に名神高速道路敷設による改築の際に、ここに移築されたそうな。「60年前だね。」
 後ろの建物は、大正2年に建てられた料理旅館。戦後は、ここから10分ばかり山手に入ったところにある松尾寺の事務所として使われていたとのこと。
 まあ、同じ玄関、同じところで生まれ育っても、まったく違うイメージ、思い出になるんだろうね。面白いね。



その当時 浮いてただろう 建物も

 米原市醒井宿資料館。
 アメリカの建築家:ウィリアム・ヴォーリズ設計の旧醒井郵便局。「え~っと、...。」 豊郷小学校に寄ったでしょ!「そうそう、そうでした。m(_ _)m」
 まあ、確かに、建ったそのときは、浮いていたかもしれないけど、こういう建物が混在していると、その街の厚みが感じられていいね。
 かっこいいよ。「ただ...。」 なに? 「飛び出し坊やが元気ないのが、ちょっと気になるね。具合、わるいんじゃない?」 あ~、写真左下のこの子? 確かに。笑。
 



せせらぎの 音を写真に 撮りたくて

 地蔵川の醒井大橋。
 ここから先は、中山道の右側を地蔵川が流れているんだね。いいね、こういう宿場町。なんか、風情があって。
 「でも、音を録りたいんなら、ムービーで撮れば?」 ...。



清き水 さらに清きが 合流し

 十王水。
 平安時代からの名水だそうな。灯篭のある奥の山裾からわき出しているのかな? 「それにしてもきれいな水だね。」
 この宿場には、3つの有名な湧き水があるんだね。地名の由来にもなっていると言われる居醒の清水、西行水、そしてこの十王水。さらに近郊も含めると、七つの湧き水があるそうな。「いいところだね。」 ホント。泉なんか無いところに生まれ育った人間にとっては、夢の世界だね。
 「この水って、伊吹山からの伏流水なの??」 いや、反対の南側の鈴鹿山系の伏流水だと思うよ。「鈴鹿山系の恵み、偉大だね。」



お堂より 目の行くお葉付 銀杏かな

 了徳寺のお葉付銀杏。
 オハツキイチョウと言えば? 「う~ん、守山宿の東門院にあったよね、たしか?」 そうだね。「結構、あちこちにあるものなの?」 全国で二十数カ所とか。「やっぱり、珍しいんだね。」



こんこんと 流れる川や 湧き水か?

 地蔵川。
 いいよね、道の横に川が流れているの。「また言ってるね。でも、この川、全部が湧き水からの水なの?」 う~ん、そのような気はするんだけど、本当かな?? 「そう思うよね。」

澄んだ川 証のような ハリヨかな

 地蔵川。
 「ハリヨって??」 ここ滋賀県の東部と岐阜県の一部にしか生息してない魚だね。体長5センチ前後だって。
 「この辺にだけいるのは、環境が特殊なの?」 条件としては、きれいな湧き水、年間を通して水量が一定で、流れが緩やか、水温は10度から18度で20度を超えると、もうダメなんだって。
 「すごいね。むちゃくちゃ厳しい水質の基準みたいだね。」



門掃きの 爺さま婆さま 清しかな

 醒井宿。
 地蔵川の流れも清々しいですが、朝早くから門掃きされているのも、清々しくって、いいですね。



バイカモや 清流が櫛 すいてもらい

 醒井宿の地蔵川。
 バイカモは、流れのある冷たい清水中でしか育たないらしいので、西日本では、湧き水のあるようなところに限られるみたいだね。「ハリヨと同じく、水の品質保証だね。」
 水槽とかで育てるのは、難しいらしいね。水温も25度を超えるとダメだとか。「むちゃくちゃデリケートなんだね。」
 なんか、絶えず清水で流されていて、気持ち良さそうだね。

バイカモや 清き流れに 夏はなお

 醒井宿の地蔵川。
 バイカモは、6月から9月ごろに、小さい白い花を水上に咲かせるようだね。「また、その頃に、是非、来てみたいね。」
 夏の暑くって、緑の濃い季節に、涼やかな水の流れの中に浮いて咲くのもいいね。しかも、ゆらゆら揺れて、美しいだろうね。「枝垂れの梅や桜よりもきれいかもしれないね。」



こりゃ恐ろし 伊吹醒井 こりゃ治る

 日本武尊像。
 「なんとなく...、話は聞いたことがあるのだけど、日本武尊が伊吹山の神の化身にやられて、熱病におかされ際、霊水を飲んで復活したというのが、ここの水なのかな?」 そのようだね。写真の像は、その湧き出ている泉のすぐ下流にあるもの。
 ここまで来る途中で、時々姿を現した伊吹山は、とてつもなく大きく、まさに神を感じる山だったけど、ここの泉:居醒(いさめ)の清水も、見るからに清らかで、どんな毒気も流すような気がするよね。「ホント、効きそう。」



伝説の 中から飛び出す 腰掛けの

 日本武尊腰掛けの石。
 すごいよね、これ。伝説の中の日本武尊が、腰掛けされた石と、鞍を掛けた石だよ。「いつの話?」 う~ん、わかんない...、西暦で言ったら、300年くらい...、う~ん、やっぱりわかんない。
 尊は、伝説的ではあるけど、当時実在して、各地に派遣された数人の英雄的な将軍たちを統合した人物じゃないかと言われているね。「伝説的でも、関係するものが、今に残っていて実在しているというのが、すごいね。」



見ただけで 居醒の清水 治るよな

 居醒の清水。
 写真の左の道が中山道。右の川が、地蔵川。川はここ加茂神社の境内の中で突き当たり。突き当たりの右側の石垣の下から、まあ、すごい量の水が流れ出しているね。
 水量は、1日15,000トンとか、もう、わけの分からない量だね。旅人ののどを潤したってな量じゃないよね。「こりゃ~、毒でも何でも、きれいに流して、治りそう。」
 
 あらばいま 捧げまほしく 醒井の
   うまし真清水 ひとしずくだに (鮫島中将)
 
 台湾の陣中で熱病に冒された北白川能久親王に対して、鮫島中将が送られた歌。これを見て、親王は苦痛の中で、にっこりされたとか。



夏ならば 復活しても もう少し

 居醒の清水。
 
 道の辺の 木陰の清水 むすぶとて
   しばし涼まぬ 旅人ぞなき
 
 「これ、西行さんの歌??」 それ、『道の辺に清水流るる柳陰...』でしょ! これは、作者不詳『東関紀行』にある歌。「まあ、でも、情景が目に浮かぶね。」 確かに。清水をもらって、元気にはなるだろうけど、心地がいいので、しばらくは他の旅人と会話を楽しんでね。「もうこのまま会話が切れずに夕方になればいいのに、とかね。」 夏場だと、気持ちいいだろうね。


どれくらい 居醒の清水 浴びたなら

 居醒の清水。
 
 むすぶ手に 濁るこころを すすぎなば
   うき世の夢や 醒が井の水 (阿仏尼)
 
 「阿仏尼は、『十六夜日記』の作者。京都から鎌倉までの旅日記だね。」 そうか、昔の人はえらいね。病や毒だけじゃなくて、心の濁りも清めてくれるような、って、感覚ね。しまったね。この際、浴びてくれば良かったかな。「あ~たの心の濁りを清めようとすれば、どれだけの水がいるのかね。」


水清き あばたもえくぼの さめが井や

 居醒の清水。
 「なんなの? これ??」
 
 水清き 人の心を さめが井や
   底のさざれも 玉とみるまで (雨森芳洲)
 
 雨森芳洲は、江戸時代暴れん坊将軍のころの儒者。新井白石・室鳩巣とならぶ木下順庵門下の秀才。対馬藩に仕え、朝鮮通信使の江戸行きに2回随行したそうな。生まれは醒井から近い今の長浜市。この歌も、随行した際に詠んだものだろうか。篤実でみんなから信頼される人だったとか。自身もかくあるべきという心だろうか。



鳥居より 上の境内 その上の

 加茂神社。
 「こりゃまた、すごいね。」 そうだね。街道に面して建つ鳥居から続く石段。そのまままっすぐに上るんじゃなく、途中で直角に曲がってさらに上へ。
 ここから拝もうかな~、なんてね。だめだよね?「ダメ!!!!」
 で、上っていった境内には、さらに上があって...。「えっ? 何? なに??」 名神高速道路。「ナント!」



異空間 隣り合わせの 加茂神社

 加茂神社。
 この写真の右上を名神高速道路が走っている。「こりゃ、すさまじいね。」 でも、音も含めて、あまりそんな感じはしないよね。「そういえば、そうだね。言われなければ、気づかないかも。」
 由緒がきには、名神高速道路建設に神社がかかるので、遷宮したとあるね。「大変だっただろうね。」 そうだね。神社の遷宮もそうだけど、居醒の清水も、今までと同じかどうか、心配だったろうね。



一筋の 並木や街道 おや銀杏

 加茂神社。
 境内から宿場を一望。「いいね。宿場を一望できるなんて、他にはないんじゃない?」 そうだね。
 写真中央のひときわ高い樹、あれって、了徳寺のお葉付銀杏かな? 「そうだね。でかいね~。」



宿場町 も一度来ようか 枝桜

 加茂神社。
 境内から宿場を一望。「街道の左側の並木は、桜だったよね。」 こりゃ~、春は、きれいだろうね。「大変だね。春は桜に、夏はバイカモ。」 忙しいね、楽しみだけど。



往来は 誰もなけれど 川のよに

 醒井宿。
 加茂神社までは、街道の横を清流が流れていたけど、加茂神社から先は、写真のとおり、川はなし。残念...ではあるけど、そのかわり、ゆる~い勾配あり、湾曲もありで、街道自体が流れているみたいで、いいね。



六地蔵 一応会釈 して通り

 醒井宿の六地蔵。
 いや~、面白いよね。笠をかぶせてあげようとして近づいた、気のやさしい男も、腰を抜かしてぶったまげるだろうね。
 石像だけなら、いろいろ感想を言うことも出来るかも知れないけどね。「そうだね。木彫りの像も、一緒だし。さらに、パワーアップしている感じ。」 解釈、むつかしいね。
 「ここは、ひとつ、ノーヒントで。」 無理! まあ、深く考えずに、一礼して、先にいきましょう!



伊吹山 同じ世界に なきような

 醒井宿の東の見附付近。
 伊吹山、でかいね! 「だいぶ、近づいてきたのかな?」 う~ん、かなり近いような、やっぱりまだまだ遠いような?? 配色は、合っているけど、遠くの山を、大きく描きすぎたような...。



遙かなる あれが京都の 空かいな

 鴬ヶ端。
 ここは、西方の眺めが良かったので、旅人たちは、みな、足を止めて休憩したと、案内板にはあるね。
 問題は...。「問題は?」 山間に、はるか京都の空が望めるというので、有名だったらしい、とのこと。「ほへ~、あれが、京都の空ですか?」 一体だれが言い出したのかな? あっ、京都では、今、雨降ってる、とか。m(_ _)m


春霞 見送られての 出迎えは

 鴬ヶ端。
 
 旅やどり ゆめ醒井の かたほとり
   初音もたかし 鴬ヶ端  (能因法師)
 
 「能因法師、ですか?」 能因法師と言えば?
 
  都をば 霞とともに たちしかど
   秋風ぞ吹く 白河の関
 
 ...が、有名だよね。あまりにも納得のいく歌が、家に居ながらにしてできたので、旅に出たと噂をながして、充分時間が経ってから発表したという歌ね。「いや~、手がこんでるね。」
 「上の歌も、そのアリバイ作りなの? m(_ _)m」 いや~、そうでは無いと、思うけど。大体、そんなのやり出したら、キリが無いというか。
 「ところで、このホームページ掲載の歌や句は、どこで詠んだの?」 家で、お酒呑みながら...って、おいっ!



御仏に 生かされて行く 旅路かな

 仏心水。街道脇の井戸だね。写真左の建屋に囲まれたところ。
 名前が、いいね。水は旅を続ける上で、無くてはならないもの。重い荷物を運ぶ馬もそう。
 名前を知った上で、いただく水は、まさに仏に生かされていると言う感を、持たずにはいられないだろうね。ありがたいことだね。



山里の 名も無き石碑 一里塚

 一色の一里塚。「なんだ。名前分かってるじゃない?」 う~ん、勝手に地名つけただけ。
 「山里、なの? 名神高速、賑やかに通っているけど。」 う~ん、柵の向こうは騒がしいけど、こっちは静か。門掃きされてたり、のんびり。
 でも、もしかして、名神高速が通るから、一里塚、無くなったんだろうかね。街中じゃないから、よけいに悲しいね。



どんぐりの 背比べと見ゆ 伊吹山

 一色の八幡神社。
 境内には背の高い木々が並んでいるんだけど...。「けど?」 伊吹山から見ればね。「まあ、確かにね。」
 「でも、立派な木々だよ。写真には写ってないけど...、というか、大きすぎて入らないし。」 逆に、伊吹山は、入るのにね。笑。



旧街道 ここにありやと 大木が

 一色集落の東端。
 見事な巨木だね。一里塚でさえ、次々と消えていってる中でね。「よく残ったね。」
 中央が、歩いて来た中山道。左が名神高速道路で、右が国道21号線。どちらもすごい交通量の間で、この巨木のおかげで、旧街道がもっている気もするね。



知っててか 知らでか残る 中山道

 一色集落の東端。
 進行方向を見た写真。右が名神高速道路、左が国道21号線、中央に残っているのが中山道。「これ、街道として残っているんじゃなくて、単に国道の歩道じゃないの?」 う~ん、そう言われてみれば...。



残れしも 足早にゆく 松並木

 梓河内(あんさかわち。「お~、何かカッコイイ。」 でも道路標識では、あずさかわち。「普通じゃん!」)
 「松並木、いいね~、って、なんで足早にゆくの??」 左側は松並木だけど...。「だけど?」 右側は、ホテル街。「なるほど...、残念だね。」 何でこんな風景になってるのかな?? まったく!



道端に さぞかし赤かろ 白き柿

 梓河内。
 「写真左の白いのは何?」 柿だね。「大事に包んであるんだね。」 柿と言えば、富有柿。「ちょうど、季節だよね。」 富有柿と言えば、岐阜県発祥。「甘いのかな?」 だから...。



鉄道も 迂回する道 なだらかに

 梓河内。
 いいね~、この道。この坂、このカーブ。
 この醒井の宿から柏原の宿まで、JRの駅間の標高差は約55メートルあるそうな。「へぇ~、結構のぼるんだね。」 まあ、こうやって歩いている分には、そんなにキツイ坂だとか、感じないけどね。JRは、か~なり迂回して遠くを走っているよ。



振り返る 歩けばこその 旧街道

 梓河内。
 振り返っても、いいね~、この道。この坂、このカーブ。
 「ここに、住んだら?」
 写真撮るのに、自転車がのぼっていくのを待ってたんだけど、同じ道でも、違った風景に見えるんだろうね。バイクでも、車でも。「やっぱり、歩かなきゃ...、ってとこ?」


次の宿 入る幕間の 杉木立

 柏原宿の少し西。
 こういう木立の中を行くのも、いいね~。それに、完全な山道じゃないのもいいね。山道だったら、ひとりではムリかもね。
 ここを抜けたら、どんな景色が見えるのかな? 楽しみだね。「衝撃的な景色だったりして...。」 ????



振り向けば 来てない道が 中山道

 長沢。
 「写真の左は、歩いて来た道。右手前の石版、右の道はなんて書いてあるの?」 『右→旧中山道』...。
 「ひょっとして、道、間違えたの?」 みたいだね。どうも、よろこんで写真を何枚も撮っていた杉木立に入る前に、分かれ道があったみたい。最近、よく間違えるね。トホホ。


菖蒲池 いつの間にやら 田に畑に

 長沢。
 「ここ、たくさん、案内板があるね。」 一番、目につくのが『天の川源流 菖蒲池跡』だね。「ここ、池だったの?」
 鎌倉時代には、旅人の和歌にも詠まれているそうな。その広さ、なんと約200メートル四方とか。「ずいぶん、大きな池だったんだね。」 ところが...。「ところが?」
 江戸時代は8代将軍吉宗公の時代には、約40メートル四方の池となり...。「なんと...。」 それから100年後の幕末には、もう、『菖蒲ケ池と申し伝へ候旧地これ有り』と記されるまでになったそうな。「...、変わるものだね。」
 まあ、往来の多い街道沿いだから、記録に残っているのも、おもしろいけどね。



並木道 冬は随分 深いのか

 長沢。
 「並木...って、スノーポールのこと?」 おだやかな道だけど、冬はえらいことになるんだね。「江戸時代なんて、どうしてたのかな?」 道も田も畑も関係なく、まっすぐ歩いてたりして。m(_ _)m



街道の 道も変わりて 人もなく

 北畠具行卿墓参拝口。
 写真の道を左に折れると、400メートルで北畠具行卿のお墓。実は、旧道の東山道は、ここで左に折れていたようだね。「この道、卿のお墓がなければ、残っていたかどうか?だね。」


婆娑羅ゆえ 嫌いもすれど 魅せられも

 北畠具行卿墓参拝口。
 北畠具行(きたばたけ ともゆき)卿というのは、後醍醐天皇の側近で右腕的存在。最初に鎌倉幕府倒幕を目指して立ち上がった元弘の変で捕らえられ、鎌倉へ護送される途中、ここで佐々木道誉に処刑された。
 婆娑羅として有名な佐々木道誉は、公家嫌いだったが、死を前にした北畠卿の態度に感服して、約1ヶ月この地にとどめ、幕府に対して助命嘆願をしたそうな。「婆娑羅が感服するって、武士以上の武士?」 死をも恐れず、凜としていたんだろうかね。


命絶つ 人こそ夢を 受け継いで

 北畠具行卿墓参拝口。
 北畠具行卿を処刑した佐々木道誉。でも結局は、足利尊氏とともに、反幕府側に立つことになる。まるで卿の夢、意志を受け継いだようにね。



春ならば 一里の塚は 素通りで

 柏原一里塚。
 写真の一里塚は、復元されたものだね。場所も少し違うのかな。写真右の並木の向こうに、並木に沿って川があり、その川の奥が中山道。
 並木は桜だから、春に訪れると、一里塚は目につかないだろうね、絶対。


2021.11.14.:午前
 醒井から、柏原まで、てくてく。

番場 > 醒井 | 柏原 > 今須