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鳥居本 > 番場

来たようで まだまだ続く 中山道
鳥居本の宿場の南の入口。
写真右の看板は、私のために、わざわざ設置されたものでしょうか?
「ま~た、分かりやすい数字だね。引いたら、あと、百里!!」 中山道は...。「中山道は?」 偉大だね。「笑。」

分岐した 道とふたたび 合流し
鳥居本の宿場。彦根道との追分。
写真左が来た道:中山道。右が彦根道:朝鮮人街道だね。「朝鮮人街道って、中山道と、どこで分かれたかな?」 野洲だね。野洲から、近江八幡、安土、彦根を通って、ここ鳥居本で合流。
「これ、なんで、この間だけ、バイパスになってるの?」 交通量が多かったから。「ホント?」 うそ。ことの起こりは、織田信長。安土城下を街道が通らないので、この道を通るようにと。
その次は、豊臣秀次。近江八幡を通るようにと。江戸時代になると、将軍は彦根道を利用し、参勤交代は中山道を通る中で、朝鮮通信使が彦根道を通ったので、そのインパクトと回数から、街道の名前自体も朝鮮人街道になったようだね。

再建で 彦根城下に 移らずに
専宋寺。
浄土真宗のお寺だけど、聖徳太子開祖と伝わっているらしい。もともと佐和山城の城下町にあったそうだけど、関ヶ原の戦いからしばらくして、井伊家が佐和山から彦根に移る。彦根城下が完成後、佐和山城を廃城にした際、現在地に引っ越したそうな。「彦根には、行かなかったところが、いいね!!」 石田三成のファンなの??
元の城下からは、村ごと引っ越しているから、反発してじゃないと思うよ。彦根藩からも帰依を受けているようだしね。

のびのびと 廃線跡の 雑草や
近江鉄道の踏切。
これ、廃線跡なの?? 「よく言うね~。最近、度々使うから、大変お世話になっているのに。」 m(_ _)m
先日も、てくてくの帰りに彦根駅で降りて、改札で駅員さんに運賃渡したら、『本日は、ワンコインスマイルの日なので、500円でいいですよ。』って。いっぺんに、近江鉄道が好きになったね。好きだからこそのブラックだよ。

三成に 過ぎたるものと 言われたは
佐和山城の大手口。
「佐和山城って、ここにあったんだね。」 そこから、始まる? 彦根城のすぐ近くだよね。山の向こうは、彦根の街だよね。
三成に過ぎたるものが二つあり
島の左近と佐和山の城。
「これ、よく聞くけど、ここは、そんなにすごいお城なの? 難攻不落??」 う~ん、上の歌は、落首だよ。「えっ、そうなの? 落首って、悪口??」 島左近と佐和山城を褒めるようにもとれるし、三成さんを小馬鹿にしているようにもとれるね。まあ、どちらかというと事務官僚の三成さんには...、と言う意味で、お城が最強って言ってるんじゃないと思うよ。「なんと!?」

大手口 何かありそな ススキ原
佐和山城の大手口。
突撃!! と、言いたいところですが...。「すごいね、ここのススキ。背丈よりも高くって、先が見えないけど。行く??」
佐和山城から、鶴翼のように左右に尾根が広がり、その間が大手口。大手口には、侍屋敷が並んでいたらしいけど、ススキの方が、防御能力高いような気がするね。何があるのか、分からないから進めないね。

都市化の波 なかなか落とせぬ 佐和山城
佐和山城の大手口の、尾根をひとつ越えた北側。本町筋から眺める。たぶん。
ここも、侍屋敷が並んでいたみたいだね。山の向こうは、すぐに彦根の市街地。駅もすぐ。お城もすぐだね。市街地化の波を、佐和山城が食い止めている、って感じだね。「やっぱり、難攻不落だね。」

古ぼけた 駅舎でなんだか 世界一
近江鉄道の鳥居本駅。
さて、何が世界一でしょう?
「う~ん、連続乗降客ゼロ日数が世界一?」m(_ _)m 工場の労災ゼロ日数じゃないんだから。
「う~ん、駅へ渡る信号の待ち時間が、世界一長い!」m(_ _)m。体感的には、あってるけど...。
「う~ん、わかんない!」
答え。平成八年に、この駅舎で、184時間に及ぶ世界最長コンサートが開催されて、ギネスブックに登録されたそうだよ。「なんと、連続で、1週間以上?」 すごいね。

幾宿目 記憶にはない 合羽屋さん
合羽所 岩根家住宅。
「合羽屋さんって?」 かっぱやさん。「かっぱって、カッパ」 レインコート!
「江戸時代にレインコートなんて、あったの??」 う~ん、色々種類はあるけど、そうだね、たとえば、木枯し紋次郎が、羽織っているやつ。「あ~、あれ。」
雨合羽 完全防水 紙製品
合羽所。
「紙製品なの?」 最初は羅紗を材料としていたらしいけど、江戸時代に贅を競うようになって幕府の禁制を受け、その後、和紙に柿渋、桐油を塗ったものに変わっていったそうな。
「紙だったら、軽いよね。」 しかも、折りたためる懐中合羽まで出てきたそうだよ。「懐中? コンパクトで、軽かったら、今のレインコートと、たいして変わらないんじゃない?」 たしかに、今でも、安いやつだと、すぐやぶけるしね。m(_ _)m
新幹線 高速できる 時代まで
合羽所。
ここの手前にあった、合羽所:松屋の案内板には、鳥居本での合羽の製造は1970年代に終焉し、とあったね。「1970年代??」 そう、新幹線や名神高速道路が、ともに1964年に鳥居本を通ったときも、まだ製造してたってこと。「すごいね。」

旅薬 食べ過ぎ飲み過ぎ 同じにて
有川家住宅。
1600年代の創業で、赤玉神教丸という胃薬を製造販売。飲み過ぎ、食べ過ぎ、胃のもたれ、腹痛、下痢等に効果がある妙薬として、人気を集めたとか。参勤交代の大名行列や旅人も利用したそうだよ。
「建物も立派だね。」 和宮さまも休憩されたとか。
「ところで。」 なに? 「買っていかなくていいの?」 なにを??

北境 隠密にしか 見えなくて
おいでやす彦根市のモニュメント。
これ、彦根市の南の入口のところにも、あったよね。「そう、そう、同じ。でも、上に乗っかっている人は、違うね。職業は、何だろう?」
左から、江戸へ帰る薬売り姿の隠密、隠密の小頭、京へ行く虚無僧姿の隠密。「みんな、隠密かい!」 m(_ _)m

峠道 探してゆけば 国道に
国道8号線。
鳥居本の宿場の旧街道をてくてくと、峠道へ入る入口を探して歩いていると、国道に合流。「行き過ぎた?」
国道を歩くのは、苦手ですが、まあ、歩道もあるし、景色もいいし。「なんか、とても、これから峠道に入るような雰囲気じゃないよね。」 もっと、手前で道を間違えてたりして...。

国道を 折れれば秋の 虫の声
摺針(すりはり)峠。
峠に入ったところ。いいね~。スキッとしているね。それに、なんと言っても、先ほどまでの車の騒音じゃなくて、虫の声が響いている。道もなだらかだし。「まだ山道じゃないね。」

摺針や マスク外せば 山の気が
摺針峠。来た道を振り返った写真。
道は、なだらかなんだけど、とても息苦しくなってきた。「マスク、外せば?」 ....。
お~、山の気、だね? いいね~。「まだ山道じゃないね。」

旧道の 開放感に 道たがえ
摺針峠。
「道、違え?」 そう、どうやら、道を間違えたようですね。「どこから?」 峠の入口から。「...。山道、なかったわけだ。」
国道との分岐点から山道があったんだけど、気づかずに車用の道を歩いてきたようだね。しかも、途中で山道が、車用の道と交差しているのにも、気づかず、峠の頂上まで来ちゃいました。いや~、まいったね。

摺針や いっぷくするも 餅はなく
摺針峠のてっぺんにある神明宮から琵琶湖を望む。
昔は、ここに、望湖堂という茶屋があったそうな。特に江戸から山道を登ってくると、峠の頂上で急に視界が開ける。そして、眼下に広がる琵琶湖を見ながら、名物のお餅をほおばりながら、いっぷくしたそうだよ。
広重の浮世絵にも、その様子が描かれているね。「美味しかったのかな? お餅?」 そっちが気になる? なんでも14代将軍徳川家茂さんが通ったときには、余分に買って、次の宿泊するところに送っておくように指示したらしいよ。「今もあるの??」
残念ながら、外観の形くらいで、どんなものだったかは、もう判らないらしいね。しかも、望湖堂自体も、平成3年に焼失してしまっているね。「歴史の尺度からいって、つい最近じゃないの?」

近江の海 深き浅きは 空の色
摺針峠の神明宮から琵琶湖を望む。
江戸から来た人が、ここで初めて琵琶湖を見て、感動したということは? 「そうだね。逆の方向へ行く人にとっては、見納めということだね。」
でも、草津から中山道をず~っと歩いてきたけど...。「ん? なに??何???」 琵琶湖見るの、初めてじゃない?? 「ま、まさか...。」

凡人が 聞けば返って あきらめて
摺針峠の神明宮。
むかし、昔のその昔、まだ若く、でも挫折感いっぱいの修行僧が、ここを通ったときのこと。老婆が石で、斧を研いでいたそうな。何やってるのかと聞くと、針を折ってしまったので、斧を研いで針にするんだと言う。それを聞いた僧は、自分の未熟さを恥じて修行に励んだとか。
「へ~、普通、その話を聞いたら、自分のやってることは、たぶん、無駄なことなんだ、って思うんじゃない?」 そうだね。そこが、われわれ凡人と天才の違いなのかもね。その僧っていうのは、後の弘法大師だそうだよ。「納得!」

下り坂 天気に景色に 見落として
摺針峠の下り。
「この句、なに?」 いや~、下り坂は、快適だね。「ひょっとして...。」 いや~、いい天気だね。「摺針の一里塚、見落としたの?」 いや~、景色も...、m(_ _)m。
「摺針峠、上りは道を間違えるし、下りはチェックポイント見落とすし、散々だね。」 まあ、ね~、天気良すぎ、気持ち良すぎ。

高速が 通りてもよく 残りたる
小摺針峠。右下を行くのは、名神高速道路。先に見えるトンネルは、米原トンネル。
ここ、車で通ったことあるね。ここが小摺針峠だったんだ。
しかし、よくこの旧街道、残ったね。大体、見えているトンネルも、わざわざトンネルにしなくても...って感じだけど、トンネル部分の上は、街道が通っているのかな。「そのためだけに??」

地蔵さま 水にも元気を いただいて
泰平水。小摺針峠の頂上手前にある湧き水。
すごいね。現役の湧き水だよ。「いいよね。今まで、湧き水って、いろいろあったけど、江戸時代から、今でも流れているんだもんね。」
斜面から出ている石の水路から、ホント、ちょろちょろと、でも連続して流れているよ。
たまにしか 通らぬ人にも ちょろちょろと
小摺針峠の泰平水。
けなげだね。「何?」 この道、ほとんどというか、誰も通らないけど。でも、絶えず流れているし、お地蔵さまに、振る舞われている感じがしていいね。
「味はどうなの?」 いや~、写真だけ何枚か撮って、そのまま先にいっちゃいました。m(_ _)m。

切り開け 道はまっすぐ 伊吹へと
小摺針峠の下り。
いよいよ、伊吹山だね。「まだまだ、と言う気もするけどね。」
遠くから見えていた伊吹山。手前の山が近づくと見えなくなるけど、峠を越えたら一段と大きくなって登場。面白いよね。

ゆく人や すれ違うまで なかなかに
小摺針峠の下り。
向こうから来るのは、自転車だね。「こっちは、下り、向こうは、上りだから、ごくろうさま、って感じだね。」
でも、この摺針の峠は、反対方向:京都へ向かう方が、いいような気がするよね。「そうだね。琵琶湖が見えた瞬間、蒼開だろうね。」 まあ、伊吹山も、なかなかだけどね。

なだらかな 道ではあるが 戻る気は
小摺針峠の下りで、振り返ってみた写真。
「う~ん、やっぱり、戻る気はしないね。」 そう? 琵琶湖見えたら蒼開、とか言ってなかった??
2021.11.3.:午後
鳥居本から、番場まで、てくてく。
高宮 > 鳥居本 | 番場 > 醒ヶ井