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西宮 > 兵庫津2

懐かしき 人に会えそで 立ち止まり
天国屋。
「これ、すごいお店の名前だね。」 カフェ、天国屋、だね。「なんか、いっぱい、いろんな物語の展開を想像してしまいそうな。」
隣の案内板は、賀川記念館。「賀川…って…、一麦協会の?」 そう、賀川豊彦さん。「へ〜、その方の記念館が、あるんだ。」
賀川さんは、ノーベル文学賞の候補にあがったこともあるほか、ノーベル平和賞に推薦されたり、総理大臣候補にあげられたり、ガンジー、シュバイツァーと共に、戦前は現代の三聖人と言われていたそうな。「そんなに、すごい方なの?」
天国屋という名前は、貧民救済活動の中で、賀川さんが大正元年に開業した一膳飯屋の名前からきているんだと思うよ。「なるほどね。」

道と川 西へ南へ 一直線
生田川。
「この川は?」生田川だね。「…と言うと、生田神社は、もう近いの?」いやいや、生田神社は、この道の先、谷間から顔出してる背の高いビル、あの三宮駅前のビルの、さらに向こうだね…、と言うか、ここは、言ってみれば、新生田川だね。
「えっ? じゃ〜、元々の生田川は?」今のフラワーロードだね。「何と…。神戸のメインストリートじゃないの!」

裏道を 抜けたらいきなり 繁華街
三ノ宮。
「おっ! 裏道から、いきなり抜けたかと思ったら、三ノ宮駅だね。」何とね。どこでもドアを、使った感触だね。
この駅、旧街道の真上に造ったんだね。「ここは、何度か来たことあるけど、旧街道が通っているなんて、知らなかったね。」

何回も 振り返ってみても 異世界が
三ノ宮。
写真は、歩いて来た道を振り返ったところ。
「いや~、おもしろいね。裏道を出たら、神戸一の駅前、振り返ったら、やっぱり、裏道。」おもしろいね。

チョコレート 蝋かな鉄橋 人間は
三宮駅高架。
ここは、JR三ノ宮駅西側の、道路を跨いでいる鉄橋。「鉄橋に、穴が空いてるけど?」
これは、太平洋戦争、神戸空襲の際の、機銃掃射の跡らしい。「ホントに? 信じられない。鉄橋が、何か柔らかい材料で、できているようにしか見えない。」
そうだよね。でも、現実に、重量のある列車が通る鉄橋だからね。「恐ろしいね。人間なんか、まったく弱いものだよね。」
(つづく)

親父から 地震、雷 火事よりも
三宮駅高架。
神戸への空襲は、128回も、あったそうだ。「…、それって…。」 二日に一回くらい。「とんでもなく、ひどい話だね。」
終戦の年の神戸市の人口は、その五年前、戦前と比べて、マイナス60パーセントだったとのこと。「戦争は、ホント、恐ろしいね。」

川跡の 荒地も花咲く 道となり
フラワーロード。
「フラワーロード、これが、さっき、話していた旧の生田川?」そうだね。天井川だったみたいだね。
普段は、あまり水が流れてないけど、雨が降ると、すぐに溢れたとか。度々溢れるので、周りも、荒地のままだったと。「なんか、信じられないね。そんな風景、想像できないよね。」
荒地を使って、競馬場があったそうだよ。「何とね。変わるものだね。」

都市の名も 繁華街まで 神社から
生田神社。
「えっ! 神戸って、生田からきてるの? 生田って、百回続けて言うと、神戸になるとか?」
んなぁ、あほな! 昔は、この辺りは、生田神社の領地であり、そこに属する民、家:戸から神戸と呼んだみたいだね。「ふ〜ん、生田神社が、発祥の地…みたいなものだよね、すごいね。」

一本で 敵将みんな 射抜かれて
生田神社 箙の梅。
「一本で、全員が? 何があったの??」源平の戦いは生田の森の合戦で、梶原景時の息子、景季と対した平家の武者たちが、見たものは…。「みたものは?」
矢を入れる道具:箙(えびら)にさしてある梅のひと枝。「矢を入れる時に、焦って、間違って、入れた?」 そんなわけ、ないでしょ!「m(_ _)m。」
平家の武者たちが、その雅さを称賛したそうな。矢が命中しても、1本でひとりだけだけど、梅のひと枝で、大勢の敵の心を射抜いたのは、カッコいいね。

初暦 めくればつぼみ ふくらんで
生田神社 五十嵐播水歌碑。
「句碑? 播水? 黒田如水の兄弟?」いやいや、関係無い…たぶん。だけども、同じ播州の人だね。
初暦 めくれば月日 流れそむ
(五十嵐播水)
「う〜ん、イイね…、これ! 新しいカレンダーの表紙をめくった瞬間? 年末だったりするけどね。」この方、2000年に、亡くなられているね。「比較的、最近の人?」いやいや、1899年生まれ。「えっ? 1900年代を丸々飛び越えて、3世紀も生きておられたの?」
そうだね。「なんか、俳人っていうと、子規のように病弱だったり、山頭火のように荒れていたり、牧水のように酒に浸っていたりと、長生きしないイメージが強いけどね。」この方は、お医者さんだもの。「なるほど、長生きの神様でもあるのかな。拝んでおこう。」

芸人の 否、神様の ご利益を
生田神社 絵馬。
「すごいね。梅はまだ蕾だけど、ここは、愛の絵馬が、咲き誇ってるね。」そうだね、面白いよね、内容的には、まだお願いしている段階だから、蕾までも行かないけどね。
「これは、やっぱり、芸能人が、挙式した影響?」藤原紀香のこと? いやいや、ここは、もともと、縁結びに恋愛成就の神様だよ。「そうなんだ。」
だからこそ、藤原紀香もここで挙式したんじゃないかな。それでもって、神社のご利益も、益々、有名に。

縁結び 表裏一体 ジンクスも
生田神社 絵馬。
縁結び、恋愛成就の神社だけど、カップルでお参りすると、別れると言う話もあるようだね。「それ、ホント…。じゃ〜、どうせよと?」
まぁ、縁結びも恋愛成就も、ひとり身で、お願いする内容だからね。「ようは、別々に、お参りしろと、言うことね…って、ホンマかいな?」

神様が 閻魔さまに お願いし
生田神社 生田敦盛。
「何? なに? 神様と、閻魔さま、友達なの? 」友達…なのかなぁ?「ふたつの異世界が、同じ話に登場するの?」まぁ、神仏習合だったからね。
「それと…、生田敦盛って?」一ノ谷の合戦で、熊谷直実と一騎討ちした平敦盛の子供の話だね。「若き敦盛…に、子供、いたの?」
法然上人が、珠のような赤ん坊を拾う。成長した子が両親のことを気にしだして悲しむようになる。それを説法の場で話すと、それは我が子だと言う女性が現れ、子供は敦盛の子だと分かる。「それから?」
その子は、父を慕って出家し、夢でもいいから、父に会いたいと願い、賀茂明神に祈願すると、生田の森に行けとのお告げが。「それから、それから?」
生田にやってきて、一夜の宿を願い、ある家を訪ねると、そこにいたのは、華麗な武者姿の平敦盛。「亡霊?」
お互いに涙し、敦盛は当時のことを語り聞かす。そのうち、帰りが遅いのに怒った閻魔さんの手下がやってきて、修羅場となるが、敦盛は供養を頼んで去っていく。室町時代作の能の作品だね「ふ〜ん、イイね。」

討つ方も 討たれた子もまた 弟子となり
生田神社 生田敦盛。
「えっ? 弟子って?」生田敦盛に登場する孤児は、法然上人の弟子となるけど。その子の父を討った熊谷直実も、また、出家して法然上人の弟子となってるものね。
「う〜ん、仇の双方を、同じ道に導いていることになるね。法然上人、大活躍だね。」

死してのち 名をあげ子もでき 文化にも
生田神社 生田敦盛。
「ところで…。」何? なに?「敦盛は、元々、笛の名手であったのに、死後、武者姿で地獄にいて…というのがね…、どうも、かわいそうというか…。」
そうだよね。討死した時が、わずか17歳。従五位の下の位はあったが、官職はなし。そんな彼だが、死後、討った相手の熊谷直実の人生も変え、平家物語の花となり、能に幸若舞から、文楽、歌舞伎と、大活躍。生田敦盛では、子供も残しているしね。「おおいに、文化に貢献しているところからすると…。」天国に行く資格は、充分にあると思うけどね。

見上げれば 空は狭くて 小さくも
讃太陽。
「空が狭いなんて…なんか、息苦しい?」いやいや、技術や文明の殻に守られているようで、逆に落ち着くような…。「それは、都会で生活してるから?」そうかも。震災の時は、空が広くなった。
「正解は?」讃太陽。祈り、そして明日へ。1995年の阪神淡路大震災の一年目の追悼式で除幕された像だそうな。「震災の像だったの? 像のところだけ、光が当たっているね。」
震災、太陽と言われると…、急に、いっぱい、いろんな想像が膨らむね。「この像は、小さいのにね。」
あの地震は怖かったなぁ。あれまでは、地震なんて怖くもなかったけど、あれ以降、小さい地震でも、怖いものね。

竪琴を 次に鳴らすは 誰なるか
未来に行く者達へ。
「これも…、震災関係?」言い出したら、みんな、そう、見えてくるけどね。
「竪琴を、最初に鳴らしたのは…、大地?」そうだね。とんでもない音を出してね。「次は?」
う〜ん、次は、小鳥さん? 大地とは、正反対の音、未来へ向けての音だね。「一番遅いのは…、やっぱり、人?」でも、一番素晴らしいような気がするけどね。

みんなから 少し少しと 夢集め
花の少女。
「こ、れ、は…、鳥山明:ドラゴンボールの元気玉ってこと?」震災から復興するに当たって、みんなから元気、夢をちょっとずつ集めて、明るい未来をひらけていくと言う…。「検索したら、この像、地下鉄海岸線の開通を記念して設置されたようだね。」はっ? 震災じゃないの?

よく見れば 気軽に入れる お店にて
生田道のセブンイレブン。
「お〜、なんか、オシャレな町、神戸にある、老舗の評判のケーキ屋さんのような…。」二階の席も、空いてるみたいだね…って、よくよく見たら…。「セブンイレブンだね。」

突き当たり 見上げば空に 海があり
旧朝日会館。
「これまた、目の覚めるような…青…だね。」空の色より青い…って、小高い丘から海を眺めているみたいだね。
ここは、元朝日会館。低層階に近代洋風建築の外観をそのまま残して、高層ビル化したものだね。「美しいよね。」

攘夷どこ 香港上海 神戸かな
三宮神社
「攘夷? 幕末に、ここで、何かあったの?」神戸事件だね。「神戸事件?」
生麦事件の神戸版だね。「へぇ〜、そんなのが、あったんだ。」そう。生麦事件は、薩摩藩だったけど、神戸事件は、備前、岡山藩。
鳥羽伏見の戦いを受けて、尼崎藩を牽制するために西宮に進軍中の岡山藩の軍隊を、フランスの水兵が横切ろうとした。隊長が静止しようとしたが、言葉が通じなかった。「まぁ、岡山弁は、で〜れ〜、難しいからね。」おいっ!そこじゃない‼︎
フランス人が、軽傷を負って、騒動、銃撃戦に。あげく、近くで街を視察していた公使たちにも、一斉射撃。「一斉射撃?? それ、大事件じゃないの?」
でも、死者は無く、負傷者もほとんど無かったそうな。「銃撃戦なのに、全部、外れたの?」そう言うことだね。不幸中の幸いかな。「そんな腕前なら、もし、新撰組が相手だったら、全員、叩っ斬られているよ。」おいっ!(つづく)

散りてゆく 春はそこまで 来てるのに
三宮神社
「死者は、出なかったにしても、銃撃戦にまで及んだら、はっきり言って、戦争じゃない? どうなったの?」
外国側は、神戸を占拠。鳥羽伏見の戦いの開戦八日目の出来事だから、当然、交渉するのは、朝廷:新政府。「ふ〜ん、尊王攘夷って、散々、煽りまくって来たけど…、今度は当事者だね。」
結局、行列を横切る行為は、国内では大変無礼な行為で、岡山藩はまったく悪くないんだけど、泣き寝入りだね。「外国相手だと、そうなるよね。」
隊長さん:滝善三郎が、ひとり、責任を負って、切腹。事件の成り行きによっては、神戸が香港みたいに租借地になっていたかも知れなかったから、国レベルで、非常に危なかったと言えるね。「もっと、神戸事件、滝隊長のことも、教えるべきだね。」ごもっとも。

もののふは かくあるものと 知らしめて
三宮神社
責任をとった滝隊長の切腹、実際に外国の外交官立ち合いのもと、行われたようだね。「外国人が、切腹を、実際に見たのは、これが、初めて?」
たぶん、そうじゃないかな。しかも、その様子は、本国に伝えられたうえ、銅版画付きで、新聞に掲載されたそうな。「かなり、インパクトをあたえたのかな?」うん、まず、宗教上、キリスト教では、自殺はダメだというように、根底部分から、違うからね。衝撃的だったんじゃないかな。

またかいな だから言ったの 徳川道
三宮神社
「徳川道…、あったね、あった。御影のあたりだったかな?」開港した神戸でのトラブル回避のために造った、西国街道のバイパス。「そう、そう。話聞いた時は、無駄なもの造ってって思ったけど、先見の明、あったんだね。」生麦事件で、懲りたんだろうね。
「岡山藩が、最初から徳川道を通っていれば、事件は起こらなかったのにね。残念だね。」でも、後続部隊は、この事件を受けて、徳川道を問題なく進んだようだね。

今まさに 神がここに 現れむ
三宮神社
「ここ、うまくできているね。」狙って造ったのかどうか分からないけど、外光が差し込んでいて、まさに、神が、降臨して来そうな感じだね。
「う〜ん、この空間には、何者かの存在を、感じるね。」

見上げれば 近所の神様 覗き込み
三宮神社
「すみません。」なに?「本殿よりも、後ろに見える建物が気になるんですけど…。」そうだよね。同じ地上に建ってるものじゃないような…。「何? なに?」
う〜んと、調べると…、セントモルガン教会…かな。「でっかい教会だね。プロテスタント系?」う〜ん、誰でも利用できるようだけど。「なるほど、礼拝はどなたでも参加できますっていうのが、普通かな。日曜とか、人、多いのかな?」う〜ん、一応、一日二組とか、書いてあるけど…。「は〜? 」結婚式場ね。「おいっ!」

ビルの谷 順風満帆 行列も
大丸
「船…だね。」神戸が開港した時に入港した、イギリスの帆船らしいね。「そうなんだ。適当に作ったんじゃないんだね。」そうだね。しかも、当時だと、日本にやって来たのは、蒸気船ばかりだと思ってたけどね。「帆船の方が、ゆったりしていて、イメージ、イイよね。」
ちなみに、この時計、毎時0分に、汽笛を鳴らすみたいだけど…、待つ?「ホントかな?」

同じ街 同じ街道 顔変わり
大丸前
まぁ、コロコロと、風景が変わるね。「確かに、面白いよね。」

近きかな 海の街しも 山の街
錨山
あの山は、何という名前でしょうか?「う〜ん…、いかり山?」正解!「そのまま、だね。」
明治天皇親閲のもと行われた観艦式で、児童数百人が歓迎するために、山に登って、いかりの形に並び、日の丸を振ったそうな。「あたたかい歓迎だね。」
数年後、いかりをかたどって木を植え、四十年くらい前には、電飾を設置したと。「…と、いうことは、夜は、光の?」そう。
「見てみたいね。」でも、街の灯りに負けて、インパクト無いんじゃないかな?「いゃ〜、電飾が、点滅するとか? 七色に変わるとか?」だんだん、児童たちの素朴な歓迎から、離れていってますけど?

ビルの谷 まだまだ夜霧が 晴れぬよな
長安門
ここが、南京町ね。名前は知っていても、どこにあるのかはナゾだったんだけどね。「昨晩の賑わいが残っているような雰囲気だね。」一回、食べに来たいものだね。
南京町の東の入り口にあるのが長安門、西にあるのが西安門、南が海栄門。「北は?」北は、旧西国街道でもある元町商店街のアーケード。「周りを門に囲まれてるんだね。治外法権区域?」
まさか。ここは、最初から外国人の居留地では無かったので、戦前の多い時でも三分の二は、日本人経営のお店だったようだね。「そうなんだ。」
戦後、純粋な中華レストランが、たった一軒にまで、なったこともあったらしい。「絶滅、寸前?」
そう、しかし、七十年代から、神戸市自体も参加しての振興によって、今ある姿になったようだね。「なんとね。むかしから、この姿じゃ、無かったんだね。」

中華街 食った食ったの 布袋さま
長安門
「こ、れ、は…、布袋さま?」大きな袋を持ってないけど?
「じゃ〜、大黒さま?」大きな袋も、内手の小槌も、持ってないけど?
「う〜ん、恵比寿さま?」釣竿と鯛、持ってないけど?
「それじゃ〜、福禄寿さま?」だんだん、離れていってる気がするけど?
ネットで検索したら、どうも布袋さまみたいだね。「最初の直感で、あってるじゃん。」まぁ、なんと言っても、お腹の出具合がいいね。「美味しいもの、いっぱい、食ったって感じ。」

キーワード 蜘蛛の糸では 絡めない
スパイダーマン
中華街と言えば、スパイダーマン!「なんでやねん!」
神戸牛と言えば、スパイダーマン!「なんでやねん!」
う〜ん…、まったく、さっぱり、ぜんぜん、分かんないけど…。「けど?」現実にこの組み合わせがあって、写真撮られて、拡散されていたら…。
スパイダーマンと言えば?「中華街! 南京町‼︎」
スパイダーマンと言えば?「神戸牛‼︎」

コインでは 無くてカメラを 取り出して
長安門 パンダ自販機
「すごいねぇ。スパイダーマンのお向かいは、パンダとコカコーラのコラボ。」…と、言うか、白黒に、赤のコラボ。目立つね。
「で、写真だけ撮って、おしまい?」何が?

十二支の 石像順に 目を追えば
南京町広場
「お〜っ! 中国だね。」なんか、石像が、あちらこちらに、あるね。
「これは、十二支の石像かな? あの東屋の左の脚元にある像は…、なにかな?」う〜ん、食っちゃ寝、食っちゃ寝を、繰り返してる、うちのネコくん?「食べさせ過ぎ! だいたい、干支にも入ってないし!」

昼間なら 一日かけても 着かぬよな
元町商店街
「ここのアーケードは、また、ずいぶん、長いね。」千百メートルほど、あるかなぁ。「ぜんぜん、先が、見えないよね。」
まだ、開店前の時間だから歩きやすいけど、やっぱり、普段は、混んでいるのかな?「これ、お店を見ながらだと、通り抜けるのに、一日かかるかもだね。」

戦国の 時代もこの街 通り抜け
花隈城
「すっごい石垣の城だね。」まぁ、この石垣は、昔のものじゃなくて、公園として、城跡風に整備したものだね。「なんだ、そうなの?」しかも、あの石垣の中は、駐車場だよ。「なんと…。見掛け倒し?」う〜ん、でもないかな。「??」
信長さんの指示のもと、荒木村重が築城したと思われるんだけど、石垣造りで有名な穴太衆を呼び寄せているので、お城の印象としては、こんな感じじゃなかったんじゃないかなぁ。「なるへそ。」

三宮 昔はもっと 近くにて
花隈城
「あの駅は?」JRの元町駅だね。でも、元々は、あの駅が、三ノ宮駅だったようだね。「えっ? そうなの?」
大阪神戸間の鉄道が開通した時に、さっき行った三宮神社の近くに三ノ宮駅が設けられた。「三ノ宮って、あの神社からきてるの?」次に、高架化工事が行われた際に、三ノ宮駅は六百メートル東へ移動。「ほ〜。」
しかし、地元から、再び元の場所に駅を設けてほしいとの請願が出されて、新たに元町駅が誕生したそうな。「元の場所への再移転じゃなかったのね。」

人は城 川柳は人 花隈城
花隈城
「句碑があるね。どなたの?」椙本紋太さんだね。
人みなの 千秋万歳 うたがわず
(椙本紋太)
ここ、花隈の和菓子屋さんだね。川柳は人間である…と、言っておられたそうな。「えぇっと…、人は城って言ったのは…。」武田信玄だね。
「…と、言うことは、川柳は、城?」…う〜ん、守りきれないと、思うけど。

日向まで ずらしちゃだめかな 冬の朝
元町商店街
「まぁ、ずらしたら、ダメでしょ!」

路地裏の 商店街の 氏神さん
走水神社
「はしりみず? これは、沖の海流の早さから、してるのかな?」う〜ん、どっちかと言うと、川の流れのようだね。「そうか…、ここまで、横断してきた川は、ほとんど、山から海まで距離が短く急流で、雨が降ったら、一気に増水してしまうところが、多かったからね。」
それと、読み方は…はしうど…らしいね。「はしりみず…じゃ、ないんだ。」朝廷に仕えていた氏族の名前…間人…から、きているみたいだね。

大人より 子供の方が 気付きそな
元町商店街 ロドニー号
「確かに…。でも、よく、気づいたね、いつも猫背で、下ばかり見て歩いてるのに。」おいっ!
ロドニー号は、神戸港開港の際に、集まった各国の船のうち、イギリス艦隊の旗艦だね。「イギリス艦隊…って、この船、帆船なの?」
造られた時は帆船だったけど、後に、蒸気機関を搭載。それに、実際の船は、このモニュメントの印象とは違って、横っ腹から大砲が口を開いていたようだね。
でも、この船の祝砲とともに、神戸の発展が始まったと言えるのかな。「この商店街にとっては、開運祈願のモニュメントなのかもね。」

商店街 終わりが見えて ため息が
元町商店街
アーケードの下を、のんびりと歩いてきたけど、終わりみたいだね。快適だっただけに、残念。「でも、ぬけたら、どんな景色になっているか、楽しみでもあるね。」そうだね。

後ろから 前に回れば 族のよな
神戸駅 蒸気機関車
「デゴイチだね。」そう、D51形蒸気機関車だね。パッと見ただけで、デゴイチって分かるの?すごいね。特徴はあるの?「デゴイチしか、知らないから…。」おいっ!
「この機関車は、幸せだね。長年、走っていた地元できれいに展示されて…。」は、走っていたのは、北海道だったらしいよ。「…。」
「でも…。」でも?「前に、まわると、正面のプレートは、『無限』ってなってるね。なんか、暴走族のような…。」
そうだね。確かに。暴走族のような…。でも、でも、まるっきり古いままだと、ポツンと、取り残された感があるけど、このプレートがあるおかげで、今を生きる人との繋がりが見えて、いいね。「なるほどね…。」

鬼は外 族のようなる プレートも
神戸駅 蒸気機関車
このプレートは、神戸・西元町のD51を守る会さんが、節分の鬼退治にちなんで、鬼滅の刃の無限列車をイメージして付けたみたいだね。「そうなんだ。節分の時期限定なのかな。」14日ごろまでだって。「ちょうど、いい時に来れて、よかったね。」
でも、今、言ったのは、昨年企画された話なんだけどね。「ほう、…と、いうことは、今年も、実施されて、ますます、ラッキーだったのかな。」

百万の 都市の名前の 駅にしも
神戸駅
人口百万人を超える政令指定都市の名前の駅だけど…。「だけど…?」 東海道本線の終点駅であり、山陽本線の起点駅だけど…。「だけど…?」 何度か来たことはあるけれど…。「あるけれど?」 外から駅舎を見るのは初めてかな…。
「で、感想は?」 し、しぶいね。「ど、同感。」 仕事じゃないからかな。味があって、いいね。

晴れよりも 清々しきは 人の声
湊川神社
「人の声?」 そう。神社の方が、掃き掃除をされているんだけど、ようお参りくださいました…って、声をかけられた。
「あ〜、いいね。」 まだ、本殿で拝んでもいないけど、それだけで、なんか元気な明るいものを、もらった気持になるよね。ありがとございます。

何も無き 田中の梅と 松の木が
湊川神社
「ん?どういうこと? もともとこの神社、こんなに大きくなくって、梅の木と松の木が一本ずつあっただけだったとか?」
いやいや、神社も何もない。「は〜?」 田んぼの中に、塚らしきものがあっただけだとか。「なんとね。」
というか、時の政権である室町幕府に逆らった側の人だから、江戸時代以前の扱いとしては、そんなものなんじゃない?「なるへそね。」

忠臣は 静かに眠れぬ 死してなお
湊川神社
ある意味、安らかに眠っていた楠正成公、江戸時代に入ると、風向きが変わってきた。「なに、なに?」
この辺りの領主、尼崎藩のお殿様が、田中の塚を見つけて五輪塔を建て、梅の木と松の木を植えた。「認知度アップだね。」
さらに、あの有名な水戸黄門こと徳川光圀公の肝煎りで顕彰の墓碑を建立。「レベルアップだね。」
その後、いろんな人達が、土地やらお堂やら、参道やら、木々やらを寄進。尼崎のお殿様も代々灯籠を寄進。幕末には、尊皇の志士たちの尊崇を集め、有名になり、参拝者も増え、祭礼も行われるようになっていく。「だんだん、大ごとになっていくね。」 なんの!まだまだ…。「えっ…?」

田中の塚 人集まれば 歓楽街
湊川神社
いろんな人たちから声があがり、明治になってから湊川神社が創建された。「ということは、みんなの寄付とかで、建てられたの?」いやいや、政府、国だね。「すごいね。」
そう。そして、もっと、人が集まり、賑やかになって、境内には、露店にはじまり、料亭、寄席、芝居小屋から、水族館まで並んだそうな。「す、すい、水族館‼︎」 大楠公も、ビックリだね。

お茶の間の 人気者とは ちと違い
湊川神社 水戸黄門像
「この像? 楠木正成公しては、ちょっと…。」 こちらは、天下の副将軍、水戸黄門さまだね。「さっき、話してた、墓碑を建てたという?」 そう、神社創建につながる原動力を作ったような人かな。「テレビとは、ずいぶんとイメージが違うね。」 確かに、名古屋でお会いした時とも、まったくの別人だね。
「でも、さすがわ副将軍、諸国漫遊の際に、通りかかって、ちょいと指示して整備した?」 いやいや、だいたい、黄門さまご自身は、箱根から西へは行ったことがない。「そうなんだ。」
実務を仕切ったのは、助さんだったようだね。「なんとね。強い上に、仕事もできるのね。」

墓碑拓本 どんな人が 買うのかと
湊川神社 楠公墓碑拓本
「これ、墓碑の拓本なの? 売ってるの?」 そのようだね。同志のあかし…なのかな? 「それ、なんの組織なの?」

忠臣も 虫歯祈願に 失笑し
湊川神社
「む、虫歯?…祈願…って、ご利益あるの?」 う〜ん、実際のところは知らないけど、昔、そんな話を聞いたことあるけど。
「楠木正成公って、虫歯で苦しんでたの?」 そうじゃなくて、湊川の合戦で、歯をくいしばって討ち死にしたからとか。「それで、虫歯の神様?」 まぁ、こんな立派な神社になる前の話だろうかね。「英雄も、大変だね。」

裏側に 建っているのか いないのか
地方裁判所
「さすがわ、おしゃれの街、神戸。また、目を引く建物の登場だね。これは、何?」
神戸地方裁判所みたいだね。「なんか、レンガ造りの古い建物のすぐ後ろに、ガラス張りのビルが建っているような、錯覚におちいるね。」
明治のレンガ造りの外側だけを残して、新しいビルにしてるんだね。「カッコいいね。」 そうだね。関わりあいたくは、ないけどね。

鳥のため わざと止まって いるような
中央体育館前
「あの〜、この像は、どこまでが、作品なの?」 そら〜、頭の上の鳩までかな。「ウソつけ‼︎」
じゃ〜、目を閉じて。「はい。」 像の特長は? 「頭の上に鳩がいて…。」 少年のポーズは? 「う〜ん…。」 少年の服装は? 「う〜ん…。」 でしょ‼︎

革命児 あちらこちらに 足跡を
孫文像
こちらの方は、中国革命の父、孫文先生。「えっ? 孫文って、神戸の人だったの?」 じゃ〜、なにかい‼︎ 上野の西郷さんは、江戸っ子だったのかい‼︎ 「m(_ _)m」
孫文は、華僑の支援者がいる神戸に、実に十八回くらいきているそうな。そして、有名な大アジア主義の講演を行なっている。「そうなんだ。」
像は、生誕百年を記念して、華僑たちから市に寄付されたもののようだね。「現実を、将来を真っ直ぐ見つめているような、凛とした像だね。」

大アジア 見据える視線も なんのその
孫文像
「なんのそのって、この鋭い視線を無視できる人なんて、この世界にいる?」 う〜ん、神戸にいる‼︎ 「は〜??」
新聞によると、五年から十年くらい前のこと、この像の前は、バリケードで囲まれて、近づけなくなっていたそうな。まさに、革命前夜。「なに?なに?何があったの?」
通勤通学の自転車、バイクの迷惑駐車。「おいっ!」

上に置く ものを当てる クイズかな
「ん?? 何か、この上に、像があったの?」 そう。何の像でしょう? 「かなり、大きいよね? ん〜、自由の女神像‼︎」
残念‼︎ 答えは、伊藤博文像‼︎ 「えっ? 伊藤博文って、神戸の人だったの?」 ま〜た、それ? じゃ〜、自由の女神は、神戸の人なんかいな‼︎ 「m(_ _)m」
伊藤博文は、初代の兵庫県知事。「そうなんだ。知らなかった。それで、像があるの?」 半分合ってるかな。「半分?」
大倉財閥の大倉喜八郎が、伊藤が暗殺された後、これを悼み、伊藤がよく使っていた自身の別荘とともに神戸に寄進したそうな。この像が、二代目にあたるが、第二次世界大戦の金属供出で、なくなってしまった。「二代目?」
心折る 暗殺よりも ひどい目に
伊藤博文像 台座
最初の像は、二代目が建てられるよりも五年くらい前に、湊川神社に建てられたそうな。「さっき行った湊川神社ね。そんな神聖な場所にあるのに、暗殺よりもひどい目って?」
日露戦争の講和条約に関して、国民の不満が大爆発した際、講和とは関係なかったけど、戦争前に満韓交換論で批判を浴びていた伊藤にも矛先が向けられ、市中引き回しの上に、海に投げ込まれたとか。「すごいね。本人がまだ生きてるのに、この仕打ちは、きついね。」 常人なら、病むね。
何もせず そっとしといて くれよとか
伊藤博文像 台座
「まだ、続きがあるの?」 五年くらい前、兵庫県政百五十周年を迎えた際に、像の再建の話もあったらしいんだけれども…。「けれども?」 先頭に立とうと言う人がいなかったのかな。
「まさか、いまだに日露?」 まさか。伊藤博文を暗殺した安重根は、韓国で英雄視されているから、外交問題のネタにされるのが、鬱陶しいからじゃない? 「なるほどね。誰も先頭に立ちたくないよね。」 伊藤博文自身も、もう余計なことは、せんでいいって思ってるかもね。

何事にも とらわれぬ春の 日向かな
故郷の森
おっ、牛さん! のほほ〜んと、日向ぼっこだね。「ちょっと、ちょっと。日向、宮崎じゃなくて、福岡だよ。」 は〜?
「確かに、横っちょに、福岡県の森って、あるね。」 ここは、各県人会からの声で整備された、県民の森。県民の森だから、北海道、東京、京都、大阪は、ない。「ホンマかいな?」
牛さんは、太宰府天満宮から、きているのかな?「とうとう、天神さまから、ひとり立ち?」

立ち止まる ひと目でそれと 分かるけど
故郷の森
「これは、誰が見ても、宮崎県だね。でも、なんで、立ち止まって、悩んでるの?」 う〜ん、ヤシの木? 「…にしては、背が低いでしょ!」 じゃ〜、シュロ? シュロも背が高いでしょ! う〜ん、蘇鉄? 「山陰街道の桂離宮にあったね。」
検索して調べたら、フェニックスだって。「フェニックス? まったく、分かりません!」

空高き 小さき天子の 丘の上
荒田八幡
「天子って??」 安徳天皇。「平清盛の娘で、高倉天皇に入内した建礼門院徳子が産んだ、第一皇子?」 そう。「何で、ここに?」

母親の 懐、御所から 都から
荒田八幡
平清盛が主導した福原遷都だね。「福原って、ここなの?」 そのようだね。新都の造営構想は別として、ここ荒田八幡は清盛の弟である池大納言頼盛の山荘のあったところで、安徳天皇の行在所だったらしい。
都がここにあったのは、わずか半年。「半年?」 都として、完成したわけでもなく、源氏挙兵に備えて、結局半年で京都に戻ったので、遷都というよりは、行幸という感じかな。
安徳天皇が、ここに来られたのは、一歳半のころ。「ようやく歩き始めたころ?
しゃべり始めたころくらい?」 そうだね。この時のことは、覚えてないだろうね。
後年、平家と共に、西へ落ちて、壇ノ浦で入水されたのが、六歳四ヶ月。「六歳…。」 年齢的にも短い生涯だけど、記憶のある期間で言うと、さらに短いよね。

願い事 紆余曲折は あるにせよ
荒田八幡
「こちらの絵馬は、ダルマさんなんだね。」 そうだね。平家が担いだ帝の行在所の跡にある、源氏の守護神、八幡さまの絵馬は、仏教は中国禅宗の開祖、達磨大師。
「なんか、わけわからんことない?」 いやいや、厄災に見舞われそうになっても、七転び八起きのダルマのごとく、厄をやり過ごして最後には起き上がり、願いが叶うんなら、いいんじゃない? 「拝んでいこう。」

買い物の 原風景が そこにあり
荒田廉売所
「これは…。」 市場の跡かな…、多分。何となくだけど、幼い頃にあった、町の市場のイメージを、思いだすね。古い記憶を、くすぐられているような感じだね。
「今は、もう、お店も無さそうだけど、よく、残っているよね。」 確かに、戦争の時の神戸の空襲に、阪神淡路大震災を乗り越えて、まったく、すごいよね。

洗われる 空か大地か 人々か
洗心橋
橋のたもとで、ぐるっと見回してみたけれど、何に心が洗われるのかな?「なんか、書いてあるけど?」
明治の中頃から昭和53年まで、ここから約200メートル北のところに拘置所(明治の頃は監獄)があり、出所した人たちの更正を願って、当時から洗心橋と名付けられています。
そういうことね。

裾野から 湧き出る泉は 数知れど
新湊川トンネル
「これ…、凄まじいね。」 川って、普通、山から流れ出てくるものだけど、これ、山の中に、流れていってるよ。しかも、むちゃでかいトンネル…。「どこへ流れてるの??」 入ってみる? 「無理‼︎
」
調べてみると…、まず、この川の名前は…、湊川。「えっ? 湊川の戦い、とかの、湊川?」 そう…みたい。「湊川って、単に地名と思っていたけど、ひょっとして、川の名前が由来だったの?」
湊川は、たびたびよ水害で、付け替えられたようだね。「ここも、水害があったんだね。」 新しい川は、楠木正成が陣を構えた会下山の下を貫いて、山の西側に流しているんだね。「まったくもって、壮大だね。」

大きさと 深さに刻まる 水害や
新湊川トンネル
このトンネル、初代は明治中頃の建設で、日本初の河川トンネルだったこともあり、人力で四年近くかかったようだね。なお、今のトンネルは、被害を受けた阪神淡路大震災後の修復で、断面積を二倍に拡大して一部改修、一部新設されたようだね。
「ホント、大変な労力をかけてるんだね。」 かけた労力と、見た目の大きさが、それ以前の水害の深刻さをあらわしているとも言えるんじゃないかな。

見渡せば 和田の岬は 山の影
会下山
ここは、楠木正成が、湊川の戦いで、陣を置いたところ。この同じ場所から、海をゆく足利尊氏軍をみていたのかな。 感慨深いね。
「足利尊氏の軍の一部が、和田岬沖から東へ向うのにつられて、新田義貞軍が追いかけていくのを、罠だと見破ったが…。」 どうすることもできなかったんだよね。その隙に、尊氏本隊は、難なく和田岬から上陸して、新田・楠木を引き離し、楠木軍を孤立させるのにも成功。
「で、その和田岬って、どのあたり?」 えっ? どのあたりって…。「おいっ!」 もうちょっと、右の方かな? や、山に隠れて、見えないのかな? 「こらっ! ひょっとして、伝誦は、嘘かい?」

海員の 御霊を祀る 山の上
会下山
「これは…?」 神戸市海員萬霊塔だね。昭和五年の建立。当時、日本を世界第三位の海運国に押し上げた功績は、主として海員の献身的努力に帰するところにある。殉難及び物故船員諸氏の功績を永遠に記念し、且つその英霊を安せんがために建てたとあるね。
「しかし、海に生きた人たちの顕彰・慰霊碑が、山の上にあるのも面白いね。」 確かに。でも、ここに立つと、山の上が一番大海原に近いような気もするね。

流る血が 平家でなければ 用は無し
平業盛の塚
「平業盛?」 清盛の弟、教盛の三男で、一ノ谷の合戦で散った、若干十七歳の少年。「平氏で、盛の字の名前の登場人物が多い中、よく知ってるね。」 さっき、調べた。「おいっ!」
坂東武者に二人がかりで、倒されたみたいだね。「何と…。十七の少年を、大男が二人がかりで? ちょっと、ひどくない?」 いやいや、それくらいしないとダメなくらいの怪力の持ち主だったようだよ。「それを先に言ってよ!」
教盛は、この合戦で、息子を三人、なくしているみたいだね。「それは、きついね。自分だけなら、好きなだけ暴れられるだろうに。力が出なくなるんじゃない?」
でも、誰知らず、消え去るんじゃなくて、何百年経っても、名前も残って、供養しておられるのは、教盛にとっては救いであり、お寺さんもえらいね。
2023.02.05.:
阪急電車の春日野道駅からスタート。高速神戸長田駅まで、てくてく。
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