>>新しい記事<< | >>宿場リスト<<

関ヶ原 > 垂井




四百年 タイムトラベル 電車にて

 関ヶ原駅前。
 いやぁ~、久々の関ヶ原。またまたコロナで、数ヶ月、あきましたね。
 出迎えの家康さんと、三成さん、安心の関ヶ原だね。「相変わらず、何言っているのやら...。」ということで、スタートしましょうか。



道しるべ 無くても行きそな 並木影

 関ヶ原の町の東のはずれ。国道と旧街道の分岐点。
 関ヶ原の町の中は、ず~っと国道21号線を歩いてきましたが、ここに来て、何やら脇道、そして、あれは並木? そういや、事前の調べで、関ヶ原の東に並木道があるってありましたね。「でも、なんか、見えてるのは、1本だけのような...。」まあ、行ってみましょう。


家康の 本陣蹴散らし 車ゆく

 関ヶ原の町の東のはずれ。国道と旧街道の分岐点。
 写真中央の国道21号線。ずっと先で、尾根を突っ切っているけど、そこが家康の最初の本陣、桃配山。あの道路で欠けているところの右上のあたりに、本陣の碑があるね。
 「それ、すごいね。見た目にも一直線だし、これっぽっちも避ける気なんか無かった感じだね。」 ひょっとして、計画立案者は、西軍の将の子孫? m(_ _)m



早起きも 並木道に ゆっくりと

 関ヶ原の町の東のはずれの最初の並木道。
 先ほどまで、張り切って早足で歩いてましたが、ここに来てスピードダウン。「一瞬だったね。」まあ、あっという間に、並木道もおわっちゃいましたねどね。あ~あ。



看板や 並木やどちらが 途切れるか

 関ヶ原の町の東のはずれの並木道。
 もう終わりかと思った並木道。交差点で一旦国道と一緒になって、すぐにまた脇道へ。そして今度こそ期待通りの並木道...、と、思ったら...。「思ったら?」工事中の黄色い看板が...。「まあ、仕方ないね。注意喚起だしね。」でもあと100m、あと50mって、必要以上に細かく立ててあるような感じ。これ、いやがらせじゃない?m(_ _)m



裏切りも 心地よきかな 関ヶ原

 関ヶ原の町の東のはずれの並木道。
 せっかく来たのに、工事看板があって、写真うつりも台無し...、とがっくりだったけど、これは意外。工事箇所を過ぎても、延々と並木道は続いてるよね。これはすごい。「いい意味で、裏切られたね。」
 「先ほどの国道21号線が、家康の本陣を蹴散らして直進していたけど、本陣を避けて通していたら、この並木道はなかったんじゃない?」ありがとう!西軍の将の子孫の方!! 「そこ?」



六部さま 素通りする身の しあわせや

 六部地蔵さま。正面が案内板で、左が地蔵様の祠。
 松並木の途中に、休憩所があり、そこに地蔵さまがおられる...、いや、逆かな。地蔵さまのおられるところに、休憩所ができたのかな。
 六部とは、六十六部のことで、全国六十六カ所の聖地に、法華経をおさめるべく、逗子を背負って旅する人:行者のことだそうな。
 「四国八十八カ所や西国三十三カ所をはじめ、全国に巡礼のコースは多いけど、全国六十六カ所というのは、スケールでかいね。」まったくもって、知らなかったね。
 六十六って、全国六十六カ国にマッチしているのかな。「とすると、巡るのは各国の一ノ宮や国分寺?」 う~ん、国分寺は早くからあやふやになっているから、固定はされていないみたいだね。
 ここのお地蔵さまは、ここで亡くなられた行者を祀ったもので、特に痛みのひどい病気をなおすことで知られているらしいね。


ひょっとして 知名度抜群 いろはのろ

 六部地蔵さま。
 案内板にある版画っぽい絵、これ、カルタみたいだね。関ヶ原の古戦場をひととおり廻ったけど、このような案内板に絵はみなかったような...。
 「関ヶ原カルタってあるんでしょうかね。」となると、いろはにほへと...と並べて、2番目が六部地蔵さまということになるよね。
 六部地蔵さまって、実は、むちゃくちゃ有名なのかな?



ゆくもよし 戻るもよしの 松並木

 山内一豊の陣のあたり。来た方を振り返る。
 いやぁ~、いいね。今日は、ここでおにぎり食べて、折り返し関ヶ原駅まで戻って、帰ろうか?...、って言う感じだね。ただ、惜しむらくは...。「腰かける椅子でしょ。」なんで分るの?


半日も いれば戦う 気も失せて

 山内一豊の陣のあたり。
 山内一豊は、南宮山の毛利に対する抑えとして、陣取っていたのかな。毛利は結局動かなかったし、戦況に応じて家康が陣を西へ移動させたのにあわせて、山内一豊も陣をすすめたみたいだね。
 「山内一豊って、家康の最初の陣の斜め後ろに陣をとっていたんだね。」まぁ、これ、すごいね。秀吉古参の将に後ろを託すってね。
 戦の前半で、秀吉の声がどこかから、小バエのようにうるさく聞こえてこなかったのかな? ”一豊!今だ!!チャンスだ!!!天下取れるゾ!!!!行け!!!!!”ってね。m(_ _)m。
 


半日も いれば焦りも 極まりて

 山内一豊の陣のあたり。
 石田三成立つの報を聞いて開いた下野国小山での軍議で、諸将に先駆けて自身の居城を家康に提供すると言い放ったのが、山内一豊。
 「このエピソードは有名だけどね...。」なに?「なんか口先だけの調子のいい人って感じがして...。m(_ _)m」
 でもないよ。一豊はこのとき、55歳くらいで、家康より二つほど年下。「結構、歳とってるんだね。」軍議に参加した諸将の中でも一番年上かも。
 しかも、徳川ゆかりの...じゃなくて、秀吉にずっと付いてきた人だけに、発言の影響は大きかったんじゃない? どこの組織でもいると思うけど、あの人が言うなら...って感じで意見が集約すること。結局東軍は乱れなかったし、戦後の家康の評価も大きかったしね。
 まあ、でも、本人は悠然としてたかもしれないけど、家臣たちはやっぱり焦ってたんじゃないかな?



東国へ 走る貨物の 風を受け

 平忠常の墓。写真正面の木の向こう側にお墓がある。
 「平忠常って、平忠常の乱の、平忠常?」何を言っているのか分りませんが?
 平将門の乱より約80後くらいに起こった房総半島の大乱。3年ものの間、討伐の朝廷軍との間で戦闘が続いたとか。
 「関東が舞台なのに、なんでここにお墓が? 何か忠常に関係あるの?」最終的に降伏して、都へ上る途中、この地で病没したそうな。「なんと。」
 街道筋には、まったく関係ない遠隔地の出来事が記憶されていることがあったりして、興味深いね。地元の方が、供養を続けているしね。すごいよ。



一歩ごと 赤い椿を よけながら

 平忠常の墓。
「お墓を隠していたのは、椿の木だったの?」 一面に、赤い椿。なんか、踏んだらいけないような気がして、ゆっくりと進んで、お参りしました。
 関東で乱っていうと、神がかった平将門がすぐ頭に浮かぶけど、平忠常のお母さんは、将門の次女:春姫なんだね。「ホント?? 荒武者の血が流れているんだね。」現代風な家族でみると、父親にも口うるさく、息子にも厳しい、お母さんが一番荒武者だったりしてね。m(_ _)m m(_ _)m。



巡り来る 四季、花もまた 扇もまた

 写真は、梅と真念寺の本堂と斑女の観音堂。
 「斑女って?」 世阿弥作の能、その主役たる恋に落ち、一途に焦がれる狂女。
 恋に落ちた相手と、扇を交わす。その後、離ればなれに。狂女となり、相手を探して都へ。都で持っていた扇に気が付いた相手と再会、というような流れ。
 「それって、上村松園さんも描いてたやつ?」あれは花筐。確かに、同じ世阿弥作で狂女だし、絵の中に扇はあるけど、破けてるし、落としてるし、大事にしてないし。m(_ _)m。
 能の舞台では、前半がここ野上。「すごいね。聖地なんだね。」 まあ、特に何ってないけど、伊吹山から吹く冷たい風も、梅の花なんかも、すべて意味ありげに見えておもしろいね。


偲ぶ恋 舞いの扇に 季節なく

 梅と真念寺の本堂と斑女の観音堂。
 斑女っていうのは、もともと中国前漢時代に帝に愛された女性。しかしやがて帝の寵愛は他の女性へといく。自身を秋の扇にたとえた詩:怨歌行を書いている。
 「野上の班女さんは、ハッピーエンドなのにね。」


待ち焦がれ 花はこんな ものなのか

 梅と真念寺の本堂と斑女の観音堂。
 能の班女をさらにレベルアップさせたのが...。「させたのが?」三島由紀夫の班女。「三島作品にも同じのがあるの?」
 能の班女を現代の設定に置き換えたもの。「新幹線と高速が通る野上の?」...じゃなくて。
 恋い焦がれ、待ち焦がれるうちに、自分の中の待ち人の方が、洗練され、理想かされていって、実像の方が偽物であると拒絶。待ち続けるというもの。
 「すごいね...って思うけど、今年の紅葉はとか、今年の桜はとか言うとの同じ?m(_ _)m」



跡形も 無きよで初めて 来たときも

 野上行宮跡。
 壬申の乱のときに、大海人皇子が本営としたところだとか。「ここまで来る途中にも、靴脱ぎ石とか、合戦の黒血川、大友皇子の首塚とかいろいろあったけど、こんどは本営ですか。」
 1300年以上前の出来事だけど、いっぱい残っているもんだね。すごいね。



三野ノ国 二ノ宮一ノ 鳥居かな

 伊富岐神社の一の鳥居。
 美濃国は、大昔は三野国と書いたそうな。その美濃国の二ノ宮は、伊富岐神社。街道に面して、一ノ鳥居。そして、その前にあるのが、日本で一番小さい太鼓橋。「ほんまかいな??」 すみません。適当に言っただけです。m(_ _)m。



ひとりでに 脚が神社へ てくてくと

 一ノ鳥居から伊富岐神社への道。
 伊富岐神社って、すごいパワースポットのような気がする。脚が勝手に神社に向かって進んでいくよ。それも自然に。「それ、単に、下り坂だからじゃないの??」m(_ _)m。
 普通は、一ノ鳥居をくぐって、より高い所にある神社に向かって上っていくものだと思うんだけど...ひたすら下って行ってるね。「おもしろいね。」帰りは、きっと、思いっきり後ろ髪引かれるんじゃない?


見渡して まさか足もと 掘ろうとは

 野上のマンボ。
 「マンボ??」横穴式の井戸のことかな。「??」
 見てのとおりの丘陵地帯の風景、水はない。そこで、傾斜の高い方向に向かって、傾斜を付けたトンネルを掘ると...。「掘ると?」地上に降った雨が、地中へ染み込み、トンネルからしみだしてくるっていう感じだろうかね。「なるほど。」
 写真中央の道路の左に看板がふたつあるけど、そこが地下の横穴に通じる縦穴。実際は、井戸を掘り当ててから、横に掘り進めていくんだろうか。よく分んないね。「どこでも掘っていいもんじゃないとも思うよね。」
 でも、案内板にもあったけど、水はどこにでもあるもんじゃない、ってこと。厳しいね。



数ヶ月 数年先の 命かな

 雪の霊仙山。
 「霊仙山って?」鈴鹿山脈最北端の山。その北側の麓にあるのが、途中通ってきた醒井の宿。「あの加茂神社の下から、きれいな水が渾々とわき出していた居醒の清水のあるところ。」あの水は、この雪だったのかな。「霊仙山も登らなきゃね。」えっ(゚ロ゚)。



なんとなく 伊吹の風に 咲くような

 伊富岐神社前の梅。
 梅、きれいだね。街道沿いでも、あちらこちらにぽつぽつと。民家の塀から背伸びしているのもあり、一の鳥居からの参道では、梅林みたいに、まとまって咲いているのもあったね。「いい季節に来てよかったね。」



登ったら 神に降れば 人間に

 伊富岐神社前のクマ出没注意の看板。
 熊、出るんだね。「う~ん、でも、伊吹山もでかいし、山深いから、熊ものびのびとして住んでいるような気がするね。」
 でもないよ。結構、大変なんじゃない。「どうして?」だって、山の上、奥には伊吹の神様がおられるし、かと言って、里に下りると人間がうるさいし。「なるほど。」なんか、熊もブツブツ言ってそう。m(_ _)m。


これやこの 渡らぬ方が いいような

 伊富岐神社の太鼓橋。
 伊吹山の神を祀っている神社の太鼓橋。やっぱり神のみぞ渡る橋なのかな。恐れ多いね。「でも、結界柵みたいなものもないし、渡ったら?」ひ、ひょっとして、日本武尊をそそのかしたのは、君じゃない? m(_ _)m。



聖水や 龍神さまは にっこりと

 伊富岐神社の手水舎の龍神さま。
 ま~た、思いっきり、にこにこされてるね。「そうだけど、よく見ると、おひげが眉毛みたいにかぶって、笑顔に見えてるだけじゃないの?」まあ、でも、笑顔で出迎えられるのは、気持ちいいね。


御神体 まさかなここに おいでとは

 伊富岐神社の御神木の大杉。
 関ヶ原の合戦に際して、この神社もとばっちりを受けて、燃えてしまったそうな。「なんか、まったく関係ないような気がするのにね。」
 で、そのとき、御神体は、この大杉の五メートルくらいのところで四方に枝分かれしているところに安置され、難を逃れられたとのこと。「村の人、すごい機転だね。」 まったくね。



何よける けもの不審者 酔っ払い

 伊富岐神社の東側、竹中陣屋への道。
 のんびりした風景だけど、獣よけ? 向こうから、なんか、やって来そうな気がするね。「それ、逆。柵は、向こうじゃなくて、こちらからの侵入を防いでいるから。」 こちらって、こちら? 「そう、不審者とかね。」 おいっ!



菩提山 山の奥かと 思いきや

 菩提山城跡。軍師竹中半兵衛の居城。写真中央山の上の高圧鉄塔の左、木がないところあたりかな。
 なんか地図で見てたら、かなり山の中だと思ってたんだけどね。特に、半兵衛さんが稲葉山城を斉藤龍興に返してのち、隠遁生活を送っていたという認識でいたからね。
 「ありゃ、むちゃ見晴らし、良さそうだよね。」 隠遁してるとはいえ、軍師であり、見通しの良いところにいてたら、怖くて近寄れないんじゃない?



東海道 上る下りの 貨物かな

 東海道本線の新垂井線。
 「あんなところに、貨物列車が走ってるけど、線路、あったの?」 行き帰りに乗った電車は、まったく別のところを走っているよね。
 大垣と関ヶ原の間は、実は結構標高差があって、標高は大垣駅が約7メートル、関ヶ原駅が約120メートル。「なんとね。」 この標高差を上る列車は、かなりきつく、戦前に輸送力増強のために、距離を長くして勾配を緩くする線が設置されたようだね。
 坂を上る専用の下り線だね。「...? もう一回言って?」
 歴史的には、この上りの下り専用線を設置と同時に、戦争中の資材不足のために下りの本線は廃止・撤去、戦後に再度復活。だから、本線の上りは上り本線、下りは垂井線、写真の支線が下り本線。「...?? もう一回言って??」



旗本の 陣屋と聞いて 来てみれば

 竹中氏陣屋跡楼門。豊臣秀吉の軍師:竹中半兵衛の子:重門が築いたもの。
 竹中重門は、関ヶ原の合戦では、当初西軍に付いたけど、途中から東軍に加わり、本戦では黒田長政と陣を同じくして戦っている。その後6,000石の旗本として、ここ岩手城で、幕末まで続く。
 身分的には、旗本だから陣屋なんだろうけど、これはどう見ても城だよね。
 
 幕府重臣:「これは、城じゃないのか?」
 竹中重門:「伊富岐神社の山門です!」
 幕府重臣:「....」
 竹中重門:「神社の山門壊せって、何言ってるの?」
 なんてね。m(_ _)m  



危機に立つ 軍師領地の 軍師たち

 竹中氏陣屋跡楼門と堀に石垣。
 このお城みたいな陣屋の楼門も、明治になると政府から取り壊すようにと、お達し:廃城令が出された。「大変!!」
 
  明治政府:「お城、いや、陣屋の楼門を取り壊すように!」
  住民代表:「えっ? これ? これ、小学校の正門ですよ!」
  明治政府:「....」
  住民代表:「小学校の正門を壊せって、何言ってるの?」
 
  ...というようなことで、残ったらしい。「さすがわ、軍師の領民!」


きんじろさ 出番はなしの 岩手小

 竹中氏陣屋跡楼門前の竹中半兵衛像。
 なんと言っても、軍師の陣屋。何かひとひねりも、ふたひねりも、あるような...。で、陣屋の楼門をくぐっておそるおそる中へ入ってみると...。「みると...。」 中は小学校! やられた...。「何が、やられたの?」
 と、言うことは...。ひょっとして、門の前にあった像は、きんじろさ? 「あんな鎧着た二宮金次郎、いる?」 m(_ _)m。


小学生 毎日挨拶 かわすうち

 竹中半兵衛像。
 竹中半兵衛は、天下を統一した豊臣秀吉の軍師。個人的には、カミソリのように切れるというか、鋭利なイメージで、近寄りがたいような、どちらかというと陰の雰囲気を持っていたんだけど。この像、逆だね。「どうだね。少し微笑んでいるよね。とがってないね。優しそう。」
 わかった。歴女のママに無理矢理連れてこられた子供を喜ばすために...。「また、それ?」
 わかった。ここ、小学校の入口だから、毎日生徒の相手しているうちに変わったとか?


秀吉と 奇想天外 話し好き

 竹中半兵衛像。
 なんかさ~、この像を見ていると、半兵衛と秀吉って、話し好きで、奇想天外なことばかり、どこまでが冗談かわからないような、人がびっくりするような話ばかりしていたような感じを受けるね。「日頃から、脳トレしてたってこと?」
 
秀:「周りは沼。入口は畦道ひとつ。この城、どう攻める?」
半:「埋める。」
秀:「土、重いし、時間かかるよ。攻撃されるし。」
半:「じゃ、藁で。軽いし。」
秀:「初夏で、藁なかったら?」
半:「じゃ、沼に水入れて、出てこれなくする。」
秀:「ほ~。いいね。」 なんてね。



主役待つ 顔抜きパネルや われ軍師

 竹中氏陣屋跡楼門前の顔抜きパネル。
 おっ! さすがわ軍師だね。「何が? 何が?」 顔ハメパネル。
 せっかくの休みに遊園地でも連れて行ってもらえるのかと思いきや、歴女のママに無理矢理連れてこられた子供を喜ばすためのアイテム! 「何? そのレアなシチュエーションは?」 m(_ _)m。



一二丁 釣り銭忘れし 自販機や

 竹中氏陣屋の隣:菁莪記念館に国井化月の歌碑があったので。
 「ダメじゃん! 早く戻らないと!」 大丈夫! 大丈夫! 誰も歩いてないから。「おいっ!」 m(_ _)m。大丈夫! ちょっと、真似しただけだから。「まね??」
 
 一ニ丁 笠忘れたる 清水かな
    (国井化月)
 
 ここの歌碑の内容とは、違うんだけど、これ、いいね。「なるほど。むちゃ、のんびりした、いい人みたいだね。」 この方、旗本竹中家にあって、江戸留守居役や御用人を勤めているし、陣屋の学校、菁莪堂にあっては、柔剣槍弓を指南したのみか、学を好み諸芸に秀でており、晩年は俳句に傾倒していたとのこと。
 「お〜、それだけ人間が出来上がってる人の句だと思うと、泰然とした、余裕が感じられるね。」 若い頃の句だったりしてね。m(_ _)m。



少年を 隠すにゃ里の 人の中

 五明稲荷。
 荒木村重が、織田信長に反旗を翻した時、黒田官兵衛が説得に出向いたが、とらわれてしまった。信長は、これを謀反とみて、人質の松寿丸を殺すように、秀吉に命じた。
 しかし、竹中半兵衛は、これを庇い、殺したと偽って、密かに匿った。
 これって、平家の落武者よろしく、とんでもない山の中に隠したのかと、思ったけど…。「ここ、なんか見晴らしよくって、気持ちいいところだね。」
 秘密を知ってる人にとっちゃ、気が休まらなかったろうね。「まったく。」


あちこちで 古老に声を かけられて

 五明稲荷。
 天下分け目の関ヶ原の戦いで、故郷に戻ってきた黒田長政。「どんな思いだったろうかね。」
 ここに、匿われていたときは、人質であり、それ以上に死んだと偽って隠れていた身だったんだからね。それが、天下分け目の戦において、敵の裏切りを仕掛け、戦う前に勝負を決めていたと言ってもいいくらいの働きだからね。
 
家臣A「殿は、次々と百姓の老人をお呼びだが?」
家臣B「たぶん、隠密だろ!」
家臣A「昔話してるとしか思えないけど?」
家臣B「敵を欺く前に味方から!」
家臣A「そ、そうかな〜?」
m(_ _)m



植えし子の 世代絶えても 銀杏木は

 五明稲荷。
 黒田官兵衛が荒木村重に加担していたという疑いが晴れて、松寿丸が許され、この地を発つ時に、銀杏の木を植えたそうな。「普通、子供だから、大喜びで、振り向きもせず、帰っていくような気もするけどね?」
 おそらく、みんなに、大事に匿われていたからかな。「ここが故郷にもなっているんだろうね。」
 名残り惜しい地域の人が、子の成長を祈り、忘れないように、植えてもらったのかな。「いいね。」
 松寿丸は、成長して黒田長政と名乗り、福岡五十万石の藩主となるが、血統自体は、江戸時代末で途切れてしまう。「手植えの銀杏、左側は、今なお元気だね。」



実戦は 無くとも神経 すり減らし

 浅野幸長陣跡。
 関ヶ原の戦いで、ここへの配置は、毛利本隊に対する備えだよね。結果が分かってるから、楽な気もするけど、大概、きついんじゃない?
 毛利と対していたと思われる浅野、池田、山内は合計13000くらい。毛利は、毛利、吉川、安国寺、長宗我部、長束で合計29000ほど。倍だね。
 「仮に、内応で話が出来てるなんて聞いていても、一日睨み合ってるのは、きついだろうね。」


一里塚 休まずゆきそな 下り坂

 垂井の一里塚。
 ここ、浅野幸長の陣跡でもあるけど、一里塚でもあるんだね。…と、いうことは…。「ん? ということは?」
 一里塚が整備されたのが1604年だから、浅野幸長が陣を置くとき、こんもりした塚を目印にしたんじゃなかったって事かな? 「なるへそ。そうだね。」


昭和まで 中山道の 茶店なる

 日守の茶屋。上の写真の左の建物。
 「街道の茶屋が、昭和まであったの?」 そのようだね。案内板には、街道とは別に、大垣新四国八十八ヶ所弘法の札所として、あるいは句詠の場として、利用されたとあるからね。「句詠の場って、なぜ?」  う〜ん、元々この茶屋は、関ヶ原山中の、松尾芭蕉ゆかりの地にあった秋風庵を、移転したものだからかなぁ。「ゆかりの地って?」  常盤御前の墓所。「それって、通って来たところだね。秋風庵って、ひょっとして、あそこにあった句碑、『義ともの 心に似たり 秋の風』から?」  そのようだね。たぶん。そして、秋風庵を建てたのが…。「建てたのが?」  国井化月。「なんと…。あの、竹中陣屋で…、釣り銭忘れた?」 それは、私! 笠だ!笠! 「こりゃ〜、ここで休憩したら、俳句を詠まないわけにはいかないね。」



振り向けば 隠れ損ねた 伊吹山

 日守の歩道橋。
 なんかね〜、ずっと、達磨さんが転んだ、を、やってるみたい。「なんのこと?」 伊吹山!「…?」
 歩いていて、急に振り返った時の伊吹山。さっきと、違う稜線から、顔を出してるところが、面白いね。「スケール、大きいね。」


2022.03.24.午前:
 関ヶ原から垂井へ、てくてく。
 ここは総じて緩い下り坂だったから、楽チンだったね。
 
  伊吹山 軽々車窓を みぎひだり
  (行き帰りのJRの車中にて)
 
 結構、身軽だね、ホント。「なに、それ?」

関ヶ原 > 関ヶ原 | 垂井 >(垂井追分)