
>>新しい記事<< | >>宿場リスト<<
水口 > 土山

分かれ道 迷うは楽しき 三筋もの
旅人流れる 水口の宿
水口の街道が三筋に分かれているところ。真ん中の道が東海道、というより、3つとも東海道なんでしょう。賑わっていた感じが伝わってきますね。街の反対側で、また合流します。
水口の 三筋別れの からくり時計
も少し待って みるべきだった
水口の街道が三筋に分かれているところ。ここが目標地点だったので、疲れてるし、そのまま動くの待たずに帰っちゃいました。
あとから調べると、9時・12時・15時・18時に動くそうな。続きで歩き始めた日は、8時過ぎのスタートだったので、この日も見ずじまい。「何事も、ちゃんと、事前に調べてから行こうね。」

何百年 とどまる古城に 見送られ
東見附を くだりてゆかん
水口の東見附。江戸側の入り口ですね。
いよいよ、鈴鹿峠へ向けて出発! いきなり、下り坂ですね。ここの町は丘陵の上だったのかな。

おじいさん おばあさんの こんにちは
行く街道に 色を付けたり
まあ、通る集落で人とすれ違えば、軽く挨拶しますが、な~んにもなさそうなところでも、挨拶ひとつで、雰囲気が変わりますね。いろいろ話をすればもっといいんでしょうけど、それではまったく先に進まないですよね。

甲賀なる 大地を進む 川さえも
遠慮し避ける 岩神様よ
岩神社から、野洲川を望む。東海道は、写真の足下の岡の下、川の手前を右から左へ通っています。
ゆったりとした景色ですね。
このあたりの村では、子供が生まれるとこの岩の前に抱いて立ち、旅人に頼んで名前を決めてもらう習慣があったとか。み~んなで、祝うという感じですね。

水じゃなく まわりの大地 丘陵が
ゆったり流る 野洲川をなす
川があって、なだらか~な丘陵があって、その奥に山の稜線が見える風景は、ゆったりしていていいですね。

戦さ道 参宮の道 旅の道
これだけ残る 生活の道
まあ、完全に今の道、完全に昔の道、というよりも、生活感のある道でありながら、昔の面影が少しあるというのがいいのでしょうかね。

小春日に ずっと香りが ついてくる
茶畑農家 土山の道
う~ん、お茶の香りがしてきますね。いいですね。写真の場所と一致してたかどうかは、覚えていません。m(_ _)m
「茶畑からお茶の香りってするの?」...そ、そういわれれば、そんなことたぶんないよね。よくわかりませんが、加工しているのかな? 蒸しているのかな??m(_ _)m でも、いいかおり。

化け物を 封印してるは 荒れた塚
村人埋めた 大般若経
平安時代のはじめ、このあたりに化け物が出没したので、大般若経を唱えて鎮め、お経を埋めたのがこの経塚だとか。どこがそうなのか、よくわかりませんが、まわりは原生林ぽいしげみになっていて、化け物感も、お経のパワーも、感じるような。

トラックが まきあげ煙る 砂埃
ゆっくり晴れる 信号待ちに
旧街道が県道に併合され、その県道と国道との交差点。信号を渡った先で、旧街道復活。まあ、でも、ここ、砂埃がすごいですね。国道の両側に採石置き場っていうんですか、広がっているし、大型車の通行が多くって、通るたびに霞んでますよ。もちろん、マスク着用してます。
でも... 「でも、なんですか?」 ...砂埃と旧街道だけを見て、あとは無視すれば、向こうから木枯紋次郎が歩いてきそうに思いませんか? 「思わない、思わない。」
採石置き場のみなさん、演出のご協力、ありがとうございました。(失礼 m(_ _)m)

トラックが 行き交う中を 脇道に
それるだけでも 旧街道
交通量の多い国道と、人も車も滅多に通らない旧街道。エッジが効いてる方が、情緒がでてきますね。

茶畑の 農家蒸す香に 旅籠の碑
疲れとれたろ ぐっすり寝れたろ
土山。お茶の畑が広がっていて、いい景色ですね。お茶を加工するのに蒸している匂いがただよっている中で、宿をとったら癒えるでしょうね。
ここ大野は、水口と土山の間の宿。街道沿いに、結構旅籠跡の碑が立っています。
前にも書きましたが、途中、お茶の香りがしていたところがあったのですが、このあたりだったかな、どうかな?

電柱を はるかに超えて 風受ける
昔並木の 語り部の松
いや~、でかいですね。2本だけだから大きく見えるんでしょうかね。この高さで並木道になってたなんて、すごいですよね。
何百年 時の流れを 形にしたら
反野縄手の 並木松
いや~、かっこいいですね。ご神木になっている木をよく見ますが、大きい木というのは、何か神々しい気を感じますよね。

参道の 清し箒目 乱れなく
ためらう一歩 諏訪のおやしろ
土山までもう少しの諏訪神社。ここは、すごいですね。鳥居から続く砂紋に、人が歩いた形跡がない! ここ、入っていいのかな? 「これっ! 神聖な場所に!」なんて声が飛んできそう。そろりそろりと、参拝しました。

神は去り 建物朽ちて 人かわり
時流れても 名前は残る
垂水頓宮御殿跡。頓宮に関する施設の跡。さらにその前は、甲可日雲宮の殿舎があったとされる。甲可日雲宮は倭姫命が天照大神を奉じて、鎮座地を求めて各地を巡られた元伊勢のひとつ。かなり昔のことですが、今もこの辺の御殿という地名の由来とされているのですから、すごいですね。
どれほどの 昔のことか 分からない
舞台の地名 今に残して
垂水頓宮御殿跡。昔のことって、どれほど記憶に残るもんなんでしょうね。自分の家のことでも、代をさかのぼると、かなりあやしくなってくるし、歴史上の出来事でも、諸説入り乱れているのが多いですね。この名前の由来となる甲可日雲宮も、候補地だけでも十数か所。でもね、候補地があやふやというより、それだけ多くの地で、忘れ去られるのではなく、なが~く伝えられてきているのがすごいと思いますね。まったく。

なだらかに 茶畑広がる 丘陵を
風なだらかに 陽もなだらかに
街道から少し外れた風景、というか、街道沿いの家並みの裏側がこんな感じ。茶畑、いいですね。

御神木 目立たぬほどに 八百万
木々神々し 瀧樹のお社
瀧樹神社。いやぁ~、神社の杜の木々が神聖ですね。迫力あります。ご神木もあるのですが、そのまわりの木々も、同様にすごい。神社名にある「樹」の文字も、あとで付け加えたそうな。

梅の紋 見たような牛 これたぶん
天神様も おいでなされる
瀧樹神社。写真では、左に御馬がおられますが、正面の拝殿を廻って奥に進むと、本殿がふたつ。左の本殿脇には、御牛が。本殿の幕には梅の紋。これ~、天神様じゃ?
瀧樹神社には、並宮として、菅原道真公が奉られています。やっぱり!!

瀧樹社にも 負けずおとらぬ 木々並ぶ
参道進めば 同じ境内
さきほどの 瀧樹神社に引けをとらないような杜。いや~、参道の木々がすばらしい。と、進んで出たところは、瀧樹神社と同じ境内。「2回も参拝したの?」...まあ、街道からの入り口が2カ所あったので...。「ちゃんと案内板、読んだの?」

天照 旅する神の 仮の宮
千年ふたつ 越えて今まで
甲可日雲宮。こんもりとした森に、小さなかわいらしいお社。でも、おおよそ二千年前に4年間だけ倭姫命が天照大神を奉じられていたところ。まあ、すごいですね。お社もそうですが、まわりの木々も、まさか樹齢二千年では、ないでしょうから、二千年の間、継続して、清い場所として、守られてきたというのに感心しますね。二千年前のものが、発掘されたとかいうのとは、違いますからね。地元の方、すごいですね。

斎宮が 向かいし伊勢の 内宮に
遥拝をする 垂水の頓宮
土山の宿場に入る手前、野洲川を渡るところにある垂水の頓宮。天皇の代替わりごとに伊勢神宮に奉仕した斎宮が、伊勢に行く道中で宿泊したところ。
なんでも斎宮に決まってから京を出発するまででも3年を要するとか。た~いへん! 頓宮も場所がキッチリ決まっていたそうな。伊勢までは五泊六日。頓宮の場所が明確に分かっているのは、ここだけだそうです。

斎宮が 最期に寄りて 何百年
先もないのに 手入れの清し
垂水の頓宮。斎宮がここに泊まられたのは、378年間に31人。「たった31人?」鎌倉時代の1264年に伊勢に向かわれたのが最後だそうな。「そんな昔?」 それから今までの方が長いよね。すごい! 頓宮自体は、1回建てて、1回泊まって、壊されるそうだから、場所自体が清く保たれていなければならないのかな。でも、やっぱり、今もこの状態というのがすごい!

斎宮が 泊まりし頓宮 何百年
今も大きな 森に守られ
写真中央の道に対して、左の森が垂水の頓宮。みごとな鎮守の杜という感じ。ちなみに道の右側は、元伊勢のひとつと言われる甲可日雲宮あとの、これまたそのひとつと言われる甲可日雲宮。「ややこしいね。」まあ、ずいぶんと昔のことだから。奉じていた倭姫命は、卑弥呼に比定される説もあるくらいの時代の方だから。でも、頓宮がここにある理由になりそうだね。「清きところ。」ひょっとしたら、ここが伊勢神宮になっていたかもしれないのだから。

年おいて 昔しのびし 斎宮も
迷われるかな 茶畑に森
年を隔てて、ここを二度訪れられた斎宮の女御。そのときは、まわりの景色に変化はなかったでしょうけど、今はがらりと変わっているから驚かれるのはもちろん。でも、今から見て、昔からの風景だと思っている茶畑も、平安時代はなかったでしょうから、あれは何?と、言われるかもね。

自動車が ビュンビュン行くも 田の脇で
土の匂いの 国道1号
土山の宿場入り口の少し手前、現在の国道の歩道を行くシーン。
近隣のお百姓さんが軽トラックに乗って...、じゃなくて、大型のトラックが、ひっきりなしに行き来してます。残念ながら、土の匂い、ゆっくり味わってるような感じじゃないですね。

広重が 晴れの土山 今日共に
いたらどんな絵 描くのだろう
歌川広重の浮世絵:東海道五十三次、土山の宿は、雨の土山。田村神社手前の田村川を渡る大名行列の絵。
今日は、冬だけどお天気ほどほど、気温もほどほどで、春先のような雰囲気。どこを切り取って描くでしょうか。「ねぇ、ねぇ、広重は実際には歩いていなかったの?」...まあ、そういう話も...
行く道の 看板馬子唄 お馴染みの
あいの土山 意味わからへん
馬子唄にも出てくるそうですが、宿場のあちらこちらの看板にも、あいの土山、って書いてありますね。あい、って何でしょうか?
「藍? 愛?」...さぁ? 「調べたの?」...一応ね。甲賀市さんのホームページには、説が8つほどかいてありましたね。「それ、誰もわかんないんじゃ?」...そんなことないよ、ちゃんと、まだまだいろいろな解釈ができる言葉ですので、新しい説やご意見などがありましたら、ぜひお知らせください、って書いてありましたよ。
では、ご期待にお応えして...。「だれも期待してないよ。」...江戸時代にここを通ったシーボルト先生が、I know Tsuchiyama. と言ったことから...「もう、結構です。紙面がもったいない。」(失礼 m(_ _)m)

十六の 明治の帝の 誕生日
小さな宿場 みんなで祝う
明治天皇が東京へ行かれる際、天皇になってからの最初の誕生日を、ここで迎えられたそうですね。へぇ~。土山宿の民衆には、酒とスルメが下賜されたそうな、乳呑児にいたるまで。
参勤の 途中で倒れて 見た景色
江戸か土山 故郷だろうか
森鴎外のおじいさん、ここ土山でなくなられているんですね。江戸からの参勤の帰路だそうです。鴎外自身もここを訪れたとか。江戸時代とはいえ、遠隔地に赴任している今のサラリーマンと同じですね。

何十軒 旅籠ありしと 聞いたけど
来て見て驚く 跡の碑の数
宿場の中を歩いていると、旅籠跡の碑が実に多いですね。最初は写真に撮ってましたが、しばらくして止めました。それくらい。もちろん、一般のおうちの前にあるので、撮影するのもなんだかなぁ、という感じでもあるので。本陣2軒、旅籠屋44軒だそうです。
石部 > 水口 | 土山 > 坂下