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樫原 > 亀山




都をば 目の前にして 大廻り

 樫原(かたぎはら)の宿。山陰街道と物集街道の交差点。見ているのは、来た道:京都方面。
 ここは、京都の手前約5キロの宿場であるけれど、大名行列は京都に入れないから、迂回したのかな?「迂回の街道、あったの?」 さ~。「おいっ!」
 おおまかにだけど、この交差点から南に3キロ半ほど行って、東に6キロ半ほど行けば、東海道五十七次の伏見宿だね。
 「なるほど、この宿場、スタートから無駄に近いと思ってたけど、伏見と亀山の中間くらいなのかな。」 そうみたいだね。


コシヒカリ 祖父の故郷 田はどこに

 物集街道との交差点。
 「コシヒカリの生みの親が、ここ出身なの?」 いや、そうじゃない。「....?」
 コシヒカリは、昭和54年以降、作付け面積が最も多い品種だそうな。その比率は、約3割。命名されたのは、さらに20年ほど遡って昭和31年。もとの名前は越南17号。この越南17号:コシヒカリのお婆さんが農林8号で、銀坊主と旭から生まれている。「◯号っていうのは、試験場で交配・育成されたものがけど、銀坊主と旭はどこから生まれたの?」
 旭は、この交差点から南へ1.5キロほどの物集女の田から生まれた。明治40年くらいのこと。試験場内ではなく、ふつうの田んぼでの話。
 富山の銀坊主も、京都の旭も似たような話がある。ある年、ほとんどの稲が収穫前に倒れた中で、数株だけ倒れなかった株があった。それを取り置いて次年度も他と区別して育てて....、って感じで、いわゆる選別というのだろうか。これ、ふつうのお百姓さんのおじさんがやってのけたこと。これのおかげで、美味しいお米がたべられていると思うと、すごいね。「感謝だね。」



筍や 旬の季節に 来たとても

 樫原の宿。
 ここ、樫原は、筍の名産地。「そうなんだ。でも、前にテレビドラマで見た中では、京の筍で、長岡が取り上げられてたけど?」
 長岡は、ここより6キロほど南、その中間の向日町や、ここからひとつ丘を越えた西側にある塚原も有名。....でも。「でも....?」
 樫原の筍は、高級料亭にしか、出てないのでは?と、言われるくらい、いいそうな。「ほんと?? あまり聞いたことない地名だけど?」
 
  ....。
  しかし、私の経験ではなんと言っても樫原の優良種がよい。噛みしめて著しい甘みがあり、香気がすこぶる高い。繊維がなくて口の中で溶けてしまう。
  ....。       (北大路魯山人)
 
  「なるほど、次元が違いそう。」



先払い? 三日天下の 用水路

 樫原の明智用水。
 写真左の郷蔵の手前が溝になっている。道路が跨いでいるんだけど、一見して気づかない程度の溝。案内板には、小畠(こばたけがわ)って書いてあった。この溝、嵐山から流れる用水路で、明智光秀が本能寺の変後に造ったとか。で、別名、明智川というそうな。
 「ほんと? 三日天下だったのに?」 う~ん、安土城で手に入れた財宝でもって、費用を先払いしたとか? m(_ _)m。



戦国で 長寿の末に 見たものは

 龍淵寺(りゅうえんじ)、辻のお地蔵さん。
 明智光秀が、丹波平定で波多野秀治を滅ぼしたとき、その家臣で雲林院高任という人が、縁者を頼ってここ樫原まで落ち延びてきた。出家し地蔵尊を祀り、主家の菩提と諸悪滅亡を祈願。日夜念仏を欠かさず、百八歳まで長寿されたとのこと。
 「煩悩の数と同じ歳まで....。知らない歴史があるんだね。」 もう、江戸時代に入って、豊臣家も滅んでいたかもしれないね。「どんな思いだっただろうね。」
 ちなみに主家波多野秀治は、光秀の母親を人質として安土に送られたが、信長に惨殺されたことが有名だけど、大正時代になってから、従三位を贈られているね。朝廷が苦しかった時代に、支援したことを評されてのことらしい。



将軍家が おもてなしする 本陣や

 樫原本陣。
 「将軍家が....?」 そう、足利将軍家。
 江戸時代の1885年に、それまでの廣田家に替わって、この樫原の北側にあった下山田村の豪族で、足利直系の玉村家が後を継いだ、と、案内板にはある。「足利直系?」 うん、夢があっていいね。「何言ってるんだか....。」
 全然話は飛ぶんだけど、室町幕府の歴代将軍の中でも、影の薄い十四代義栄(よしひで)。いわゆる平島公方。その子孫は、阿波徳島藩から禄をもらっていたが、1800年ごろ、徳島藩を離れて、京都に移る。その後も、紀州藩や等持院などから援助を受けていたが、明治の初めに、下山田村で帰農したそうな。
 「話が、ビシッと繋がってないね。ちょっと時間的におかしいね。」 うん、夢があっていいね。m(_ _)m。



何がある 三つ葉葵に 菊花紋

 樫原の三ノ宮神社。
 この神社、別に何てことないような感じだけど....。「どうしたの?」
 三つ葉葵に、菊花紋....。「最強のカードを、いきなり二枚も出してきたけど? ここ、何かあるの?」
 五代将軍徳川綱吉が、社殿などを寄進して、葵の家紋を許したそうな。「菊花紋は?....って、菊の真ん中が丸じゃないね。」 するどいね。孝明天皇が、攘夷祈願で社の造営をはかると同時に、養子の華頂の宮が菊花紋入りの提灯を下賜されたと案内板にはあるね。この菊花紋は、華頂菊っていうのかな。「攘夷祈願? でもなぜ、ここに祈願?」
 酒呑童子をやっつけたからかな?「ん....?」



鬼退治 武勇の前に 神の酒

 三ノ宮神社の拝殿の天井画。
 昔々、源頼光がこの小さい祠に供えてあった神酒を呑んだところ、たちまち、酔いつぶれてしまった。で、頼光は、これは使える!!っと。
 大江山で神酒を鬼たちに呑ませて、酔ったところを、退治したそうな。「なんとね。それが真実だったの?」
 真実は、小説よりも奇なり、ってね。「は~?」


頼光も 鬼もかなわぬ 神の酒

 三ノ宮神社の拝殿の天井画。
 源頼光も、酒呑童子もかなわない、ここのご神酒、最強だね。「まったく。」  拝殿には、その鬼退治の様子を描いた絵が、奉納されているけど、絵のサインを見ると....。「ん....?」 この絵は....。「この絵は?」 なんと....。「なんと?」 山科の随心院で見た小野小町を描いた絵と同じところの作だね。「あら、まぁ。」
 >(小野随心院の襖絵:極彩色梅匂小町絵図)



見渡せば 都は火の海 世の中は

 三ノ宮神社の拝殿の天井画。
 拝殿の天井画、もひとつあるね。禁門の変で、樫原まで逃れてきた志士三人が、守備をしていた若狭藩の藩士に惨殺され、村人が共同墓に葬ったそうな。
 「ここまで、警備に入っていたの?」 そのようだね。
 禁門の変では、京都の街は半分以上が焼けたわけだから、小高い丘にあるこの宿場から見ると、京都の街は煙も濛々と燃えさかり、村の辻ではこの惨殺もあり、この世の終わり的な感じだったかもしれないね。



どこからも 見えたであろう 八角塔

 樫原廃寺跡。
 「ここ、結構、見晴らし、いいね。」写真正面の山並みは、東山三十六峰最南端の稲荷大社のある稲荷山だろうかね。
 八角塔…、と言えば…。「三田キャンパス!」…、…。「法隆寺、夢殿!」そう、何か聖徳太子を連想するね。「その頃に、建てられたの?」発掘調査によると、その少し後、飛鳥時代の後半らしい。
 「見晴らしがいいということは、京都盆地ないからだと、どこからでも見えたのかな?」そうだね。結構、存在感が、あったんじゃないかな。



旧街道 いずこへ続く 藪の中

 樫原の秤谷。
 樫原の宿場、昔はどこまでが宿場だったのかわからないけど、途中から、結構坂がキツくなってきたよ。
 で、いきなり、道がなくなった。「そんな山の中でもないのに?」 覗くと、なんとなく道だった跡は感じるんだけど、全体としては藪の中。「廻り道しなきゃ、仕方ないね。」



パチンコ屋 警備員に 見送られ

 樫原の秤谷。
 廃道の反対側から、振り返ったところ。正面のこんもりしているのが、藪の中の廃道。手前に横切ってるのが、国道9号線のバイパス。白い建物はパチンコ屋さん。「パチンコ屋さんの駐車場を突っ切って、旧街道が続いているの?」
 その通り、キョロキョロして歩いてたら、入口はこちらです!って、お店に誘導されたりしてね。



ゴジラなど 目じゃない巨大 生物が

 樫原の秤谷。
 「どこ? どこ? 巨大生物?」 目の前の竹林!
 竹林は地下茎によって、どんどん広がっていき、タケノコがどんどん生えてくる。地下茎で繋がっているので、これをひとつの生命体と考えると、とんでもない巨大な生物となる。「なるへそ。」
 今、歩いているところの西側に、洛西ニュータウンと言うのがあるが、開発前は、竹林だったとか。「それが、ひとつの生き物だったら、これは、すさまじい大きさだね。」



平安の 昔も清し 手入れされ

 淳和天皇御母御陵。
 平安時代の初期、淳和天皇の母君の御陵。「でも、むっちゃ、手入れされてるよね。」 そうだね。落ち葉ひとつとてない。
 まるで、毎日早朝から掃除されている神社のようだね。「近くの人が、毎日、清掃されてるのかな?」結構、参道、長いけどね。「なんか、すごいご利益があるとか?」
 でも、いいね。清々しいね。


三十年 幾陰日向 繰り返し

 淳和天皇御母御陵。
 御母君は、30歳で薨去されてるんだね。「たった30歳?」
 父親は、桓武天皇から、絶大な信頼を得ていた、藤原百川。ただ、その父も、旅子が20歳くらいの時に亡くなる。
 旅子が桓武天皇の後宮に上がったのは、26歳くらいのこと。「昔にしては、年齢的にかなり遅いし、親が亡くなっていて、後ろ盾も弱いのにね。」 そう、後ろ盾が無いのにもかかわらず、産んだ子は即位しているかなね。
 桓武天皇の百川に対する信任からだろうね。



山陰道 次から次へと 三ノ宮

 大枝中山 三ノ宮神社。写真は、参拝後に、振り返ったところ。
 「京都を出てから、ここまでに三ノ宮神社って、たくさんあったよね。もう、四つ目…、かな?」 大きな神社の三番目の末社ってなところ? 「みんな、おんなじ名前だけど?」
 どうも、これは、三柱の神を祀ってるってことじゃないかな? たぶん、おそらく。



日本史の 分岐点や もし仮に

 大枝 沓掛。
 写真奥が、亀山。奥から来て、写真左に折れると、奈良時代の丹波道で、しばらく行くと、西国街道に出る。まっすぐ手前に直進すると、都の本能寺へ。
 ここを過ぎると、戻れないことになるよね。「明智光秀は、この分かれ道で、指示をだしたのかな?」 敵は本能寺にあり、ってね。


地名の神 鳥居の横で 終い柿

 大枝神社。
 この辺り、筍の他に、もうひとつ、美味しいものがある。「富有柿。」 そう。どこの産地でもそうだけど、日本一美味しいそうな。
 食べると、やらかくて、唇に甘みが残る。先ほどの分岐点から、西国街道へと抜ける道は、晩秋、柿の直売店が並ぶので、柿街道と言われてるそうな。
 「買わないの? 好きなんじゃないの?」…。「どうしたの?」 実は…、さっき、無人の販売所で、柚子を二袋買ったから、さらに柿持って、老ノ坂を越えるのは、ちょっと…。m(_ _)m。



今まさに 手入れしている 御陵かな

 桓武天皇御母御陵。
 桓武天皇の母と言えば?「高野新笠!」そう、そして…。
 御陵の入口には、宮内庁の車‼︎ 「どなた様か?お見えなの?」
 写真の通り。どなた様か、は、軽トラで来られないでしょ!
 「…ということは、先ほどの淳和天皇御母御陵が、清々しかったのも、この人たちが?」そのようだね。上の方で、ブロワーの音がしてるね。



甲子園 山の中でも 高架下

 京都成章高校。
 「学校があるよ。山の中だけど、高架下。」 この学校は、何年か前に、甲子園で準優勝してるよ。「すごいね。どこで練習するの?」 おいっ! 「でも、なんだかなぁ、準優勝だったら、地域あげてのお祝いをイメージするけど、周りは山で、人家ないし…。」
 確かに…。でも、京都成章高校は、学校法人明徳学園、バックは、山陰街道のスタート地点にあった本圀寺。「なんと!」 関係する人は多いとおもうから、すごくもりあがってるんじゃない?
 「前に通った所と関係があると、すごく親しみを感じるね。応援したくなるよね。」 次の甲子園、楽しみにしておこう!



現実は 高架下から 老の坂

 老ノ坂。仏舎利霊園入口。
 もうすでに、峠に入ってると思うんだけどね。人家も、無いし。写真は、国道九号線から、川を渡って、脇道に逸れた所。高架は、京都縦貫自動車道。
 なお、脇道と言っても、広大な霊園への入り口の道。まっすぐ行くと、霊園の事務所があるみたいだけど、そこからの道が、よく分からない。
 ちょっと不安。少し怖いかな。「時刻は、もう二時だよ。午後から山に入るのは、絶対しちゃダメな禁忌だよ。十二月で、日暮も早いし。」  そうだね。道が分からなかったら、すぐに、引っ返すよ。



旧道の 沢に往来 戻りしも

 老ノ坂。仏舎利霊園事務所の裏。
 現在の山陰街道、国道九号線は、旧街道のひとつ隣の沢を行き、峠の上はトンネル。トンネルができたのが明治十六年なので、そのタイミングで、旧街道は使われなくなったんだと思う。ところが…。「ところが?」
 そらから百五年後の昭和六十三年に、旧街道のあった沢に、京都縦貫自動車道が開通。「賑わいが戻った?」
 まぁ、車は、バンバン通っているけど、この傍の旧街道を歩く人は、誰もいないんじゃないかな。



歩くには いいがなんか いまいちな

 老ノ坂。
 左は、広大な霊園、右は、沢があって、高速道路、の、直線道路をずっと登って来た突き当たりのあたり。写真正面は、木々に隠れているけど、高速道路のトンネルだね。
 「すごい山道を想像してたけど、きれいな道だね?」 想定外だね。
 よくわからないけど、多分、高速道路建設時の資材運搬の作業道路だったのかなぁ。「でも、歩きやすいし、いいじゃない?」



なんとなく ワクワクしだす 老ノ坂

 老ノ坂。
 横を走る高速道路が、トンネルに入ったね。「歩いている道も、雰囲気が、少し、変わったね。」
 事前の情報では、土手に突き当たり、その土手を登ると、山道らしきものがあると…。そこが本日一番の、不安箇所だね。引き返す事になるかも?「どうなるだろうね。ワクワク。」 ひとごとかいっ!



林道が 山道になり 沢になり

 老ノ坂。
 土手の写真、撮るの忘れたね。m(_ _)m。「まぁ、予想に反して、迷うような場所じゃなかったからね。」
 そうだね。土手で、道が、一旦途切れていると、思っていたけど、ちゃんと、山道が続いていたからね。「きれいな道から、山道になると、不安になるとこだけど、逆だね。」



老ノ坂 この状況で 反論は

 老ノ坂。
 山に入ると、よくこのアングルの写真を撮るんだけど…。「うん、いいね。」
 高い木々、山全体の圧倒的なパワーを感じるんだけど、決して押さえつけられたものじゃなくって、それに乗っかって、空へ突き抜けるような、力強いものを感じるね。
 「じゃ〜、今、ここて、敵は本能寺にあり、って、言われたら?」 おっしやっ〜‼︎ って、先が分かっていても、言いそうだね。



老ノ坂 分け入り登って 見たものは

 老ノ坂。
 老ノ坂の一番てつぺんは、高架下だね。「何? それ?」 老ノ坂 初めと終わりは 高架下。「何言ってるの!!」
 なんか、道路が通っていて、その下をくぐるんだけど、足元は、山道。「変なの!」
 この道は、ひとつ隣の沢沿いを走っている、国道9号線から、京都市の西清掃工場への連絡道路だね。
 「なんとね。」


もうすでに 復活してる あとのよな

 首塚大明神。祠の前の大木。
 た…、大変‼︎ 「どうしたの?」 これ、見て!「こ、これは…」
 どう見ても、酒呑童子が、復活した跡のような…。110番しなきゃ!「なんでよ!」m(_ _)m。
 いゃ〜、雷が落ちた跡なんて、初めて見たような…。とんでもない鬼のパワーに、誘引されて、電気が走ったのかな?「ご利益、絶大かもね。」拝んでおこう。「どっちを拝んでるの! 祠は、あっち‼︎」m(_ _)m。


2021.12.09.午後:
 樫原から、亀岡のJR馬堀駅まで、てくてく。

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